aozora blog http://www.siesta.co.jp/aozora/ インターネットの電子図書館「青空文庫」に関連するblogです。 ja 2006-01-03T21:20:37+09:00 06:過去の「新着情報一覧」を見たいのですが。 http://www.siesta.co.jp/aozora/archives/002468.html 答え:以下のURLを直接指定すると、見ることができます。

http://www.aozora.gr.jp/index_pages/whatsnew_yyyy_1.html

yyyyは、西暦4桁です。2005年分であれば
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/whatsnew_2005_1.html
となります。
これで、その年の最新の新着情報が開きます。
最新以外の新着情報は、ページ上部のリンクからたどってください。

なお、2000年以前の新着情報は、この方法では参照することができません。
過去の「そらもよう」で確認してください。
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aozora_Q&A LUNA CAT 2006-01-03T21:20:37+09:00
蛸博士 http://www.siesta.co.jp/aozora/archives/002467.html タコです。
正月だから、風博士に章魚博士だとです。
タコです。
腹がすくと、じぶんの足でも食べるとです。
タコです。
泣きながら、吸いつかせてもらったことがあるとです。
タコです。
これでも、悪魔のつもりだとです。
タコです。
たまたま、かぜはかせといっしょに乗っていたとです。
腕十字。ハッスル、ハッスル。
タコです、タコです、タコです……

タコの頭にはちまき巻いて、きゅーっとしめたら、しまらない♪
電線に鳥インフルエンザ。おっとっとっと。あいの子リーだ。
伝説のワン・ナイト・カーニバル。ラブ・マシーン。
おくさん、エロリスト、マイアヒ、ペコリナイト、山川です。
格闘技はフィクションだ。口パク・カラオケはドキュメンタリーだ。
ニートか、一級建築士か。それが問題だ。
HG(HaGe)レーザープリンタ、ふぉー。
陀落せよ。
by むてきんぐ@タツノコ

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***


捏造工作版

風博士
坂口安吾
 
 
 諸君は、東京市某町某番地なる風博士の邸宅をごぞんじであろうか? ごぞんじない。それはたいへん残念である。そして諸君は偉大なる風博士をごぞんじであろうか? ない。ああ。では諸君は遺書だけが発見されて、偉大なる風博士じたいはようとして紛失したこともごぞんじないであろうか? ない。ああ。では諸君はぼくがその筋の嫌疑のために並々ならぬ困難を感じていることもごぞんじあるまい。しかし警察は知っていたのである。そしてその筋の計算によれば、偉大なる風博士はぼくと共謀のうえ遺書を捏造ねつぞうして自殺をよそおい、かくてかの憎むべきタコ博士の名誉棄損をたくらんだに相違あるまいとにらんだのである。諸君、これはあきらかに誤解である。なんとなれば偉大なる風博士は自殺したからである。はたして自殺したか? しかり、偉大なる風博士は紛失したのである。諸君は軽率に真理を疑っていいのであろうか? なぜならば、それは諸君の生涯にさまざまな不運をもたらすに相違ないからである。真理は信ぜらるべき性質のものであるから、諸君は偉大なる風博士の死を信じなければならない。そして諸君は、かの憎むべきタコ博士の――あ、諸君はかの憎むべきタコ博士をごぞんじであろうか? ごぞんじない。ああ、それはたいへん残念である。では諸君は、まず悲痛なる風博士の遺書を一読しなければなるまい。

    風博士の遺書
 諸君、彼はハゲあたまである。しかり、彼はハゲあたまである。ハゲあたま以外のなにものでも、だんじてこれあるはずはない。彼はカツラをもって之の隠蔽いんぺいをなしおるのである。ああこれじつに何たるこっけい! しかり何たるこっけいである。ああ何たるこっけいである。かりに諸君、一撃をくわえて彼の毛髪を強奪せりと想像したまえ。とつじょ諸君は気絶せんとするのである。しかして諸君は気絶以外のなにものにも遭遇することは不可能である。すなわち諸君は、猥褻わいせつ名状すべからざる無毛赤色の突起体に深く心魄を打たるるであろう。異様なる臭気は諸氏の余生に消えざるなげきをあたえるに相違ない。きたんなく言えば、彼こそ憎むべきタコである。人間の仮面をこうむり、門にあらゆる悪計をかくすところのタコはすなわち彼にほかならぬのである。
 諸君、余をさして誣告ぶこくのそしりをやめたまえ、なんとなれば、真理にちかって彼はハゲあたまである。なお疑わんとせば諸君よ、パリ府モンマルトル三番地、Bis, Perruquier ショオブ氏に聞きたまえ。今を距ること四十八年前のことなり、ふたりの日本人留学生によってカツラのあがなわれたることを記憶せざるや。ひとりはハゲあたまにして肥満することブタ児のごとく愚昧ぐまいの相をただよわし、その友人は黒髪明眸めいぼうの美少年なりき、と。黒髪明眸なる友人こそすなわち余である。見たまえ諸君、ここにいたって彼は果然四十八年以前よりハゲていたのである。ああじつに慨嘆の至にたえんではないか! 高尚なることかしわの木のごとき諸君よ、諸君はなぜ彼ごとき陋劣漢ろうれつかんを地上より埋没せしめんと願わざるか。彼はカツラをもってそのハゲあたまを瞞着まんちゃくせんとするのである。
 諸君、彼は余の憎むべき論敵である。たんなる論敵であるか? いやいやいな。千辺いな。余の生活のすべてにおいて彼はまた余の憎むべきかたきである。じつに憎むべきであるか? しかりじつに憎むべきである! 諸君、彼の教養たるやあさはかしごくでありますぞ。かりに諸君、聡明なること世界地図のごとき諸君よ、諸君は学識深遠なるタコの存在を認容することができるであろうか? いやいやいな、万辺いな。余はここにあえて彼の無学を公開せんとするものである。
 諸君は南欧の小部落バスクを認識せらるるであろうか? もしも諸君がフランス、スペイン両国の国境をなすピレネー山脈をさまようならば、諸君は山中に散在する小部落バスクに逢着ほうちゃくするのである。この珍奇なる部落は、人種、風俗、言語において西欧の全人種に隔絶し、じつに地球の半回転をこころみてのち、極東じゃぽん国にいたってはじめていちじるしき類似を見いだすのである。これ余の研究完成することなくしては、地球の怪談として深く諸氏の心胆を寒からしめたに相違ない。しかして諸君安んぜよ、余の研究は完成し、世界平和に偉大なる貢献をあたえたのである。見たまえ、源義経はジンギスカンとなったのである。ジンギスカンは欧州を侵略し、スペインにいたってその消息をうしなうたのである。しかり、義経およびその一党はピレネー山中もっとも気候の温順なるところに老後の隠栖いんせいぼくしたのである。これすなわちバスク開闢かいびゃくの歴史である。しかるにああ、かのぶれいなるタコ博士は不遜千万にも余の偉大なる業績に異論をとなえたのである。彼はいわくく、モンゴルの欧州侵略はジンギスカンの後継者太宗の事蹟にかかり、ジンギスカンの死後十年の後にあたる、と。じつに何たる愚論浅識であろうか。失われたる歴史において、たんなる十年がなんであるか! じつにこれ歴史の幽玄を冒涜するもはなはだしいではないか。
 さて諸君、彼の悪徳を列挙するは余のはなはだ不本意とするところである。なんとなれば、その犯行は奇想天外にして識者の常識をがえんぜしめず、むしろ余に対して誣告の誹を発せしむるうらみあるからである。たとえば諸君、頃日けいじつ余の戸口に Banana の皮を散布し余の殺害をくわだてたのも彼の方寸に相違ない。ゆかいにも余は臀部でんぶおよび肩胛骨けんこうこつに軽微なる打撲傷をうけしのみにて脳震盪のうしんとうの被害をこうむるにはいたらなかったのであるが、余の告訴に対し世人はあげて余を罵倒したのである。諸君はよく余の悲しみをはかりうるであろうか。
 賢明にして正大なること太平洋のごとき諸君よ。諸君はこの悲痛なる椿事ちんじをも黙殺するであろうか。すなわち彼は余の妻をねとったのである! しかして諸君、ふたたび明敏なること触鬚しょくしゅのごとき諸君よ。余の妻はうるわしきこと高山植物のごとく、じつにたんなる植物ではなかったのである! ああ三度冷静なること扇風機のごとき諸君よ、かの憎むべきタコ博士はなんらの愛なくして余の妻をうばったのである。なんとなれば諸君、ああ諸君永遠にタコなる動物に戦慄せよ、すなわち余の妻はバスク生まれの女性であった。彼の女は余の研究を助くること、うたがいもなく地の塩であったのである。タコ博士はこの点に深く目をつけたのである。ああ、千慮の一失である。しかり、千慮の一失である。余は不覚にも、タコ博士のハゲあたまなる事実を余の妻に教えておかなかったのである。そしてそのために不幸なる彼の女はついにタコ博士に籠絡ろうらくせられたのである。
 ここにおいてか諸君、余はふんぜん蹴起けっきしたのである。打倒タコ! タコ博士をほうむれ、しかり、膺懲ようちょうせよ、憎むべき悪徳漢! しかりしかり。ゆえに余は日夜その方策をねったのである。諸君はすでに、正当なる攻撃はひとつとして彼の詭計きけいに敵しがたいゆえんを了解せられたにちがいない。しかして今や、ゆいいつ策を地上に見いだすのみである。しかり、ただ一策である。ゆえに余は深く決意をかため、鳥打ち帽に面体をかくしてのち夜陰に乗じて彼の邸宅にしのび入ったのである。長夜にわたって余は、錠前に関するおよそあらゆる研究書を読破しておいたのである。そのために、余は空気のごとく彼の寝室に侵入することができたのである。そして諸君、余はなんのたわいもなくかの憎むべきカツラを余の掌中におさめたのである。諸君、目前に露出する無毛赤色の怪物を認めた時に、余はじつに万感胸にせまり、あふれ出る涙を禁じ難かったのである。諸君よ、翌日の夜明けを期して、かの憎むべきタコはついにタコじたいの正体をいかんなく暴露するにいたるであろう! 余はおどる胸にカツラをひそめて、ふたたび影のごとく忍び出たのである。
 しかるに諸君、ああ諸君、おお諸君、余は敗北したのである。悪略神のごとしとはこれか。ああタコはクセモノの中のクセモノである。だれかよく彼の深謀遠慮を予測しうるであろうか。翌日彼のハゲあたまはふたたびカツラに隠されていたのである。じつに諸君、彼はひそかに別のカツラを貯蔵していたのである。余は負けたり矣。刀折れ矢尽きたり矣。余の力をもってして、彼の悪略におよばざることすでに明白なり矣。諸氏よ、だれ人かよくタコをこらす勇士なきや。タコ博士をほうむれ! 彼を平なる地上より抹殺せよ! 諸君は正義を愛さざるか! ああやむをえんしだいである。しからば余の方より消え去ることにきめた。ああ悲しいかな。

 諸君は偉大なる同博士の遺書を読んで、どんなにふかい感動をもよおされたであろうか? そしてどんなにはげしい怒りをおぼえられたであろうか? ぼくにはよくお察しすることができるのである。偉大なる風博士はかくて自殺したのである。しかり、偉大なる風博士ははたして死んだのである。きわめて不可解な方法によって、そして死体したいを残さない方法によって、それがおこなわれたために、一部の人びとはこれをあやしいとにらんだのである。ああぼくはたいへん残念である。それゆえぼくはゆいいつの目撃者として、偉大なる風博士の臨終をつぶさにのべたいと思うのである。
 偉大なる博士ははなはだあわて者であったのである。たとえば今、部屋の西南端にあたる長イスに腰かけて一冊の書に読みふけっていると仮定するのである。次の瞬間に、偉大なる博士は東北端のひじかけイスにうもれて、じつにあわただしくページをくっているのである。また偉大なる博士は水を飲むばあいに、とつじょコップをのみこんでいるのである。諸君はそのとき、じつにあわただしい後悔といっしょにたそがれに似た沈黙がこの書斎にとじこももるのを認められるに相違ない。したがって、このあわただしい風潮は、この部屋にあるすべての物質を感化せしめずにおかなかったのである。たとえば、時計はいそがしく十三時を打ち、礼節正しい来客がもじもじして腰を下そうとしない時にイスははげしいかんしゃくをならし、物体の描く陰影はとつじょ太陽にむかって走り出すのである。すべてこれらのろうばいはきわめて直線的な突風を描いて交錯するために、部屋のなかには何本もの飛ぶ矢に似た真空が閃光せんこうをちらして騒いでいる習慣であった。ときには部屋の中央に一陣の竜巻が彼自身もまたあわてふためいてわきおこることもあったのである。そのせつな偉大なる博士はしばしばこの竜巻に巻きこまれて、こぶしをふりながらいそがしくちゅうがえりを打つのであった。
 さて、事件のおこった日は、ちょうど偉大なる博士の結婚式にそうとうしていた。花嫁は当年十七歳のたいへん美しい少女であった。偉大なる博士が彼の女に目をつけたのはさすがに偉大なる見識といわねばならない。なんとなればこの少女は、街頭に立って花を売りながら、三日というもの一本の花も売れなかったにかかわらず、主として雲をながめ、ときたまネオンサインをながめたにすぎぬほど悲劇に対してむじゃきであった。偉大なる博士ならびに偉大なる博士などの描く旋風に対照して、これほどふさわしい少女はまれにしか見あたらないのである。ぼくはこの幸福な結婚式を祝福して牧師の役をつとめ、同時に食卓給仕人となる約束であった。ぼくはぼくの書斎に祭壇をつくり花嫁とむきあせに端座して偉大なる博士の来場をまちかまえていたのである。そのうちに夜があけはなれたのである。さすがに花嫁はおどろくような軽率はしなかったけれど、ぼくは内心おだやかではなかったのである。もしも偉大なる博士はまちがえてほかの人に結婚を申しこんでいるのかもしれない。そしてそのときどんな恥をかいて、地球一面にあわただしい旋風をまきおこすかもしれないのである。ぼくは花嫁に理由をのべ、自動車をいそがせて恩師の書斎へかけつけた。そしてぼくは深く安心したのである。そのとき偉大なる博士は西南端の長イスにうもれてくことなく一書をむさぼり読んでいた。そして、今、東北端のひじかけイスから移転したばかりに相違ない証拠には、一陣の突風が東北から西南にかけて目にしみわたる多くの矢を描きながら走っていたのである。
「先生約束の時間がすぎました」
 ぼくはなるべく偉大なる博士をおどかさないように、とくに静粛なポーズをとって口上をのべたのであるが、結果においてそれは偉大なる博士をおびやかすにじゅうぶんであった。なぜなら偉大なる博士は色はあせていたけれど燕尾服を身にまとい、そのうえひざがしらにはシルクハットをのせて、たいへんりっぱなチューリップを胸のボタンにはさんでいたからである。つまり偉大なる博士は深く結婚式を期待し、同時に深く結婚式を失念したに相違ないいろいろの条件を明示していた。
「POPOPO!」
 偉大なる博士はシルクハットをかぶりなおしたのである。そして数秒の間うたがわしげにぼくの顔をみつめていたが、やがて失念していたものをありありと思いだした深い感動があらわれたのであった。
「TATATATATAH!」
 すでにその瞬間、ぼくはするどいさけび声をきいたのみで、偉大なる博士のすがたはけとばされたトビラのむこう側に見失っていた。ぼくはびっくりして追跡したのである。そして奇跡のおこったのはすなわちちょうどこの瞬間であった。偉大なる博士のすがたはとつぜん消えうせたのである。
 諸君、開いた形跡のない戸口から、人間はぜったいに出入りしがたいものである。したがって偉大なる博士は外へ出なかったに相違ないのである。そして偉大なる博士は邸宅の内部にもいなかったのである。ぼくは階段のとちゅうに凝縮して、まだ響き残っているそのあわただしいあしおとを耳にしながら、ただ一陣の突風が階段の下に舞い狂うのを見たのみであった。
 諸君、偉大なる博士は風となったのである。はたして風となったか? しかり、風となったのである。なんとなればそのすがたが消えうせたではないか。すがた見えざるは之すなわち風であるか? しかり、之すなわち風である。なんとなれば姿が見えないではないか。これ風以外のなにものでもありえない。風である。しかり風である風である風である。諸氏はなお、この明白なる事実をうたぐるのであろうか。それはたいへん残念である。それではぼくは、さらにうごかすべからざる科学的根拠をつけくわえよう。この日、かの憎むべきタコ博士は、あたかもこのおなじ瞬間において、インフルエンザに犯されたのである。
 
 
 
底本:「坂口安吾全集1」ちくま文庫、筑摩書房
   1989(平成元)年12月4日第1刷発行
   1989(平成元)年12月25日第2刷発行
底本の親本:「黒谷村」竹村書房
   1935(昭和10)年6月25日発行
初出:「あおい馬 第二号」岩波書店
   1931(昭和6)年6月1日発行
入力:砂場清隆
校正:伊藤時也
2005年11月19日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアのみなさんです。

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book PoorBook G3'99 2006-01-03T12:32:32+09:00
空色通信 2005年12月号 http://www.siesta.co.jp/aozora/archives/002459.html 2005年12月は、39作品のファイルが公開された。主なニュースとしては、5000作品到達となるだろう。

]]> 【主なニュース】
12月31日公開の仁科芳雄「ユネスコと科学」をもって、公開作品が5000作品に到達した。来年は6000にも到達するかもしれない。

【公開作品】
 2005年12月には、39作品のファイルが公開された。なお、作品未公開のため機能しないリンクが一部ある。

 もっとも多くの作品が公開されたのは海野十三で、9作品(暗号数字崩れる鬼影もくねじ沈没男太平洋雷撃戦隊空襲下の日本獏鸚火葬国風景月世界探険記)。戦時下の世相を反映した作品が多い。面白いと思うのは「沈没男」。乗る船が、ことごとく沈没する男の顛末や、如何に。

 次に多いのが岸田国士で、7作品(言はでものこと芸術座の『軍人礼讃』チロルの旅言葉言葉言葉上演料の話(仏蘭西)「文壇波動調」欄記事 01 (その一)十二月的感想)公開された。一篇を除き、「岸田国士全集19」底本の随筆であり、大正期に書かれている。「チロルの旅」や「海の誘惑」などの雑誌「女性」底本の作品は随筆と呼べるのかどうか、不思議な作品である。

 翻訳が2篇公開されている(アンデルセン「雪の女王」とダンテ「神曲 03 天堂」)。「雪の女王」はクリスマスに公開された。ダンテ「神曲」はこれで、三部作全て公開となった(「01 地獄」「02 浄火」「03 天堂」)。

 科学者、仁科芳雄の作品が初登録(株式会社科学研究所の使命 日本再建と科学国際学術会議への旅国民の人格向上と科学技術 ユネスコと科学)。今年末を飾る「ユネスコと科学」は、科学技術の利用に対する監視のための国際協力についての提言である。科学技術の是非について、考えさせられる文章である。

 推理小説は、小酒井不木が3篇(深夜の電話痴人の復讐闘争)公開されている。大衆文学では、国枝史郎の少し短い長編「血曼陀羅紙帳武士」が公開されている。

 泉鏡花は、明治期の作品2篇が公開されている(朱日記妖術)。「朱日記」の「赤い猿、赤い旗な、赤合羽を着た黒坊主」というイメージは凄いと思う(他にも題名の通りに「朱」をモチーフにしたものがいっぱい登場する)。

 他には蒲原有明が3作品(狂言綺語虚妄と真実長谷川二葉亭)、有島 武郎が2作品(潮霧幻想)、太宰治が2作品(新郎六月十九日)、南方熊楠が1作品(十二支考 04 蛇に関する民俗と伝説)、石川 啄木が1作品(我等の一団と彼)、公開されている。

 最後になりましたが、入力してくださった方々、校正してくださった方々に感謝いたします。また、みなさんのお気に入りを、コメント欄で紹介してもらえると、うれしいです。

 バックナンバーは、こちら

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book 門田裕志 2005-12-31T04:53:12+09:00
「空色通信」新着記事 http://www.siesta.co.jp/aozora/archives/002422.html 空色通信を更新しました。
2005年12月号を追加しました。

]]> 空色通信バックナンバー
2005年12月号
2005年11月号
2005年10月号
2005年9月号
2005年8月号
2005年7月号
2005年6月号

「空色通信」開始の告知

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book 門田裕志 2005-12-31T04:24:22+09:00
泉鏡花作品発表年代順リスト http://www.siesta.co.jp/aozora/archives/002458.html 2005年12月29日現在、泉鏡花作品は78作品公開されている。全編の内容の紹介を書くのは大変なので、発表年代別のリンク集を作ってみた。小説も小品も戯曲もひとまとめにしてある。発表年代ごとにまとめると、意外な作品が同時期に発表されていることがわかるかもしれない。

]]> 鏡花は明治期(明治26年から明治43年)に約170篇、大正期(大正元年から大正14年)に約100篇、昭和期(昭和元年から昭和14年)に約20篇の小説を発表している。青空文庫では、小説以外もいろいろと公開しているので、それも合わせて発表年代別にリンクをはってみた。

1894(明治27)年
 「義血侠血

1895(明治28)年
 「愛と婚姻」「神楽坂七不思議」「外科室」「醜婦を呵す」「旅僧」「夜行巡査

1896(明治29)年
 「紫陽花」「海城発電」「凱旋祭」「竜潭譚

1897(明治30)年
 「化鳥(新字新仮名)」「化鳥(新字旧仮名)」「鉄槌の音」「迷子

1898(明治31)年
 「小説文体」「蛇くひ」「星あかり

1899(明治32)年
 「黒百合」「三尺角」「弥次行

1900(明治33)年
 「高野聖

1901(明治34)年
 「いろ扱ひ」「三尺角拾遺 (木精)」「森の紫陽花」「雪の翼

1902(明治35)年
 「逗子だより」「山の手小景」「妖僧記

1903(明治36)年
 「草あやめ」「薬草取

1904(明治37)年

1905(明治38)年
 「女客

1906(明治39)年
 「逗子より

1907(明治40)年
 「縁結び」「婦系図

1908(明治41)年
 「草迷宮

1909(明治42)年
 「小説に用ふる天然

1910(明治43)年
 「歌行灯」「お花見雑感」「国貞えがく」「作物の用意」「朱日記」「妖術

1911(明治44)年

1912(明治45/大正元)年
 「白い下地

1913(大正2)年
 「紅玉」「夜叉ヶ池

1914(大正3)年
 「湯島の境内

1915(大正4)年
 「松翠深く蒼浪遥けき逗子より

1916(大正5)年
 「人魚の祠」「錦染滝白糸

1917(大正6)年
 「雛がたり

1918(大正7)年

1919(大正8)年

1920(大正9)年
 「月令十二態」「寸情風土記」「売色鴨南蛮」「伯爵の釵

1921(大正10)年
 「七宝の柱」「雪霊記事(新字新仮名)」「雪霊記事(旧字旧仮名)」「雪霊続記(新字新仮名)」「雪霊続記(旧字旧仮名)」

1922(大正11)年

1923(大正12)年
 「鷭狩」「みさごの鮨

1924(大正13)年
 「小春の狐」「玉川の草」「栃の実」「二、三羽――十二、三羽」「眉かくしの霊

1925(大正14)年
 「怨霊借用

1926(大正15/昭和元)年
 「絵本の春」「城崎を憶ふ」「半島一奇抄

1927(昭和2)年
 「芥川竜之介氏を弔ふ

1928(昭和3)年

1929(昭和4)年

1930(昭和5)年
 「木の子説法

1931(昭和6)年
 「貝の穴に河童の居る事」「古狢

1932(昭和7)年

1933(昭和8)年
 「若菜のうち

1934(昭和9)年

1935(昭和10)年

1936(昭和11)年

1937(昭和12)年

1938(昭和13)年

1939(昭和14)年
 「縷紅新草」「遺稿

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book 門田裕志 2005-12-31T01:15:18+09:00
知的財産基本法の施行状況に対する意見募集 http://www.siesta.co.jp/aozora/archives/002450.html 「知的財産基本法の施行状況に対する意見募集」が行われているようです。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/pc/051216comment.html

2006年1月6日(金)午後5時が締め切りです。コメントは以下のフォームから、

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/pc/comment2_f.html

みなさま、どうぞコメントを寄せてください。

]]>  具体的に関係のあるそうな箇所を引用してみる。知的財産推進計画2005(2005年6月)(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/kettei/050610.html)からの引用である。

「コンテンツビジネスを飛躍的に拡大する」から
ーーーーーーーーーー
4. コンテンツ流通大国に向けた改革を進める
(3) 法制度の改革を進める
 映画の著作物については、その保護期間が「公表後50年」から「公表後70年」に延長されたが、映画以外の著作物に係る保護期間の在り方についても、著作物全体を通じての保護期間のバランスに配慮しながら検討を行い、 2007年度までに結論を得る。(文部科学省)
ーーーーーーーーーー
2007年度まで、ということは、2007年4月まで、ということですね。
 また、同じく「コンテンツビジネスを飛躍的に拡大する」から
ーーーーーーーーーー
4. コンテンツ流通大国に向けた改革を進める
(3) 法制度の改革を進める
 6) 権利者の利益と公共の利益とのバランスに留意する
 コンテンツの保護を強化する一方で、権利者の利益と公共の利益とのバランスに留意することが必要であり、社会的に必要と考えられる公正な利用を促進する観点から、著作権法の「権利制限規定」の適当な分野における拡大等について検討を行い、2005年中に結論を得る。(文部科学省)
ーーーーーーーーーー
もう結論が出ているはずですが、現行の著作権法の精神を維持するだけでも十分だと思うのですけどね。

 いろいろとツッコミどころはあるかと思いますが、みなさんのご意見を形にしてみて下さい。

]]>
society 門田裕志 2005-12-26T09:02:22+09:00
空色通信 2005年6月号 http://www.siesta.co.jp/aozora/archives/002446.html 2005年6月は、53作品のファイルが公開された。ニュースは特になし。

]]> 【公開作品】
 2005年6月には、53作品のファイルが公開された。なお、作品未公開のため機能しないリンクが一部ある。

 もっとも多くの作品が公開されたのは僅差で海野十三で、8作品(浮かぶ飛行島間諜座事件人造人間戦車の機密独本土上陸作戦のろのろ砲弾の驚異今昔ばなし抱合兵団戦時旅行鞄毒瓦斯発明官)が公開された。「人造人間戦車の機密」、「独本土上陸作戦」、「のろのろ砲弾の驚異」、「今昔ばなし抱合兵団」、「戦時旅行鞄」、「毒瓦斯発明官」は、新兵器発明王、金博士が登場する一連のシリーズである。残り5篇も校正が進んでいる。「浮かぶ飛行島」にはちょっと思出がある。「生きている腸」で海野十三を知って、早川文庫JAの短編集「十八時の音楽浴」を読んで、「こんな作家がいたのか」と驚いていた。随分昔のことなだけれど、短編ばかりでは物足りないぞと思っていた。(まだ、「海野十三全集」は刊行されていなかった)そんな時、講談社・少年倶楽部文庫の「浮かぶ飛行島」を古書店で見つけた。中編くらいの長さだけれど、読み応えがあって大変に面白かった。青空文庫を知った時に、岡本綺堂と海野十三の名前を見つけて、大変にうれしかった記憶がある。「浮かぶ飛行島」は少し軍事色が強いけれど、ついつい読んでしまう面白さがある。一度、覗いてみて欲しい。

 林芙美子は、7作品(亀さん梟の大旅行美しい犬狐物語朝御飯おにおん倶楽部クララ)公開されている。

 国枝史郎は、5作品(十二神貝十郎手柄話弓道中祖伝戯作者仇討姉妹笠銀三十枚)公開されている。連作長編と言った方がよい「十二神貝十郎手柄話」がやはりよい。主人公、十二神(オチフルイ)貝十郎のキャラクター造形もよいのだけど、それ以上に、もう一人のメインキャラクター、館林様こと松平冬次郎との掛け合いというか、関係が読んでいて気持ちがよいのである。「銀三十枚」は、国枝史郎には珍しい現代もの。『国枝史郎探偵小説全集』(作品社)という本が出版されたので、この本から、さらにいろいろな現代ものが入力できる。

 寺田寅彦、北村透谷、ともに5作品が公開されている。寺田寅彦は、「喫煙四十年」「研究的態度の養成」「言語と道具」「工学博士末広恭二君」「高原」、北村透谷は、「想断々(1)」「想断々(2)」「富嶽の詩神を思ふ」「漫言一則」「我牢獄」である。

 翻訳は4作品(アンデルセン「赤いくつ」、ディケンズ「二都物語 01 上巻」、バーネット「小公女」、魯迅「孔乙己」)公開されている。「小公女」という作品は、翻訳、映画、アニメなど紹介の機会が多い。しかし、それぞれの媒体で「解釈」とでもいうべきものが、いろいろと加わっているので、結構その印象が変わる。具体的には、1985年の日本のアニメーションとアメリカで製作された映画(どちらもDVDあり)を比べてみるよくわかる。実は、主人公のキャラクターそのものにまで違いが出て来る。今回公開の菊池寛訳と、グーテンベルグプロジェクトで公開されている原文を読み比べてみると、わかると思う(そのうち、このblogにまとめて書いてみたい)。

 折口信夫の「死者の書 ――初稿版――」が公開されている。「死者の書」はこれで、都合3つのファイルが公開されたことになる。昭和文学全集底本の「新字新仮名」、角川書店の単行本『死者の書』底本の「旧字旧仮名」、そして、初出雑誌底本から起こしたこの「初稿版」である。初出雑誌から、単行本、全集へと収録される時に変っていった移り変りを知る事が出来る。

 詩集が3篇公開されている。島崎藤村の「若菜集」と伊東静雄の「詩集夏花」「わがひとに与ふる哀歌」である。

 他には宮沢賢治が3作品(カイロ団長紫紺染についてツェねずみ)、正岡子規が2作品(万葉集巻十六万葉集を読む)、林不忘が2作品(あの顔平馬と鶯)、津村信夫が1作品(挿頭花)、土田杏村が1作品(あしびの花)、島崎藤村が1作品(伊豆の旅)、南部修太郎が1作品(現代作家に対する批判と要求)、横光利一が1作品(無常の風)、高山樗牛が1作品(一葉女史の「たけくらべ」を読みて)、柴田流星が1作品(残されたる江戸)、夢野久作が1作品(女坑主)、公開されている。

 最後になりましたが、入力してくださった方々、校正してくださった方々に感謝いたします。また、みなさんのお気に入りを、コメント欄で紹介してもらえると、うれしいです。

 バックナンバーは、こちら

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book 門田裕志 2005-12-19T08:19:04+09:00
空色通信 2005年7月号 http://www.siesta.co.jp/aozora/archives/002445.html 2005年7月は、57作品のファイルが公開された。ニュースとしては、誤植連絡のための掲示板「むしとりあみ」の閉鎖だろうか。

]]> 【主なニュース】
誤植連絡用の掲示板「むしとりあみ」が閉鎖された。現在も、メーリングリストで、運営の方式等についての話し合いが進められている。

【公開作品】
 2005年7月には、57作品のファイルが公開された。なお、作品未公開のため機能しないリンクが一部ある。

 もっとも多くの作品が公開されたのは海野十三で、15作品(断層顔柿色の紙風船疑問の金塊ゴールデン・バット事件蠅男爬虫館事件夜泣き鉄骨科学が臍を曲げた話三重宙返りの記『十八時の音楽浴』の作者の言葉人造物語人体解剖を看るの記成層圏飛行と私のメモ『地球盗難』の作者の言葉)。小説が半分、随筆・評論が半分である。

 次に多くの作品が公開されたのは、初代国会図書館館長、中井正一で、9作品(国立国会図書館について図書館法楽屋話図書館法の成立「焚書時代」の出現生まれ変った赤坂離宮知識と政治との遊離地方文化運動報告野に山にかかる虹の橋民族の血管)である。「「焚書時代」の出現」には、気になる一節があった。以下に引用しておく。
「 一歩退いて図書館界を省みると、この一隅の世界もまた、火炎の中にあるのである。いま、『群書類従』を古本として売れば、本としてよりも、紙として売る方が値がよいと専門家はいっている。本を読む、学を求めるものとしての日本民族のこころ根が、もはや良書をよむ力を失って、かかる良書を、硫酸でとかして、エロ本の材料としてしまうことを経済的構造をもってゆるすという段階に立至った。日本民族の教養の方向が、歴史以来初めての、大衆によって「焚書時代」の出現に向ったともいえるのである。始皇帝でもなく、ヒットラーでもなく、民族の教養低下が、大衆自らの文化遺産を硫酸で焼くという時代を生み出しているのである。立法的資料そのものが、法の運用のあやまりによって亡びようとする段階に、今、日本民族は立至っているのである。」(中井正一「「焚書時代」の出現」より)

 久坂葉子の作品が6作品(久坂葉子の誕生と死亡入梅落ちてゆく世界灰色の記憶幾度目かの最期華々しき瞬間)公開されている。神戸に住んでいたことがあるが、地元の作家として図書館に特設コーナーがあった。他にもまだ作品があるのだろうか。

 翻訳は、6篇(アミーチス「母を尋ねて三千里」、アンデルセン「小夜啼鳥」、ジェファーソン「アメリカ独立宣言」、ドイル「暗号舞踏人の謎」、モーパッサン「初雪」、リカードウ「経済学及び課税の諸原理」)公開された。ジェファーソン「アメリカ独立宣言」は、福沢諭吉による翻訳である。ドイル「暗号舞踏人の謎」の翻訳者は、三上於菟吉(長谷川時雨の内縁の夫)である。

 パリ祭の日(7月14日)には、岡本かの子「巴里祭」が公開されている。7月7日には、岸田国士「日本に生れた以上は」が公開されている。「日本に生れた以上は」を読んでいると、50年以上経っても、日本という国は、悪い意味であまり変っていないように思う。

 朔太郎の詩集が3篇(青猫純情小曲集蝶を夢む)公開されている。「青猫」には、附録として「自由詩のリズムに就て」がついている。本格的な詩についての朔太郎の文献は「詩の原理」が校正中である。

 他には国枝史郎が4作品(血ぬられた懐刀正雪の遺書柳営秘録かつえ蔵前記天満焼)、宮沢賢治が3作品(とっこべとら子なめとこ山の熊祭の晩)、寺田寅彦が3作品(ゴルフ随行記雑記帳より(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])札幌まで)、新美南吉が3作品(うた時計いぼかぶと虫)、岡本綺堂が1作品(停車場の少女)、種田山頭火が1作品(四国遍路日記)、正岡子規が1作品(墨汁一滴)、公開されている。岡本綺堂の「近代異妖編」は、図書カードに他の作品へのリンクがある。

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book 門田裕志 2005-12-19T07:18:52+09:00
空色通信 2005年8月号 http://www.siesta.co.jp/aozora/archives/002444.html 2005年8月は、62作品のファイルが公開された。ニュースは特になし。

]]> 【公開作品】
 2005年8月には、62作品のファイルが公開された。なお、作品未公開のため機能しないリンクが一部ある。

 もっとも多くの作品が公開されたのは岡本綺堂と林芙美子で、それぞれ13作品。

 岡本綺堂は、「三浦老人昔話」と近代異妖篇の12作品(白髪鬼指輪一つ離魂病海亀百物語妖婆木曽の旅人こま犬水鬼鴛鴦鏡鐘ヶ淵西瓜)。「三浦老人昔話」は、半七捕物帳と同じ形式であるが、捕り物とは関係のない巷談と呼ぶべき内容である。近代異妖篇は、夏向きの話から寒い最中の話まで、いろいろな怪談がそろっている。近代異妖篇には、他に「停車場の少女」(新字新仮名新字旧仮名)「影を踏まれた女」「月の夜がたり」「異妖編」がある。

 林芙美子は、「愛する人達」「朝夕」「或る女」「お父さん」「玄関の手帖」「幸福の彼方」「子供たち」「婚期」「秋果」「就職」「清修館挿話」「谷間からの手紙」「鶴の笛」の13作品。

 海野十三は6作品(空中墳墓壊れたバリコン殺人の涯電気看板の神経電気風呂の怪死事件ネオン横丁殺人事件)が公開されている。推理小説を意識しているのは、わかるのだけれど、トリックがちょっと……という作品もある。「殺人の涯」のような妖しい味わいの作品としては、牧逸馬が4作品(上海された男舞馬助五郎余罪夜汽車)、夢野久作が1作品(支那米の袋)、公開さている。

 8月15日の周辺では、宮本百合子「獄中への手紙 12 一九四五年(昭和二十年)」、桐生悠々「煎じ詰めれば」「科学的新聞記者」が公開されている。一九四五年(昭和二十年)の8月15日をもって、「獄中への手紙」は終わるのである(この意味、わかりますよね)。また、桐生悠々の「科学的新聞記者」にあるような報道が果たして現代ではされているのだろうか、考えてみる価値はある。

 翻訳は、チェーホフの2作品(「子守つ子」「てがみ」)が公開されている。鈴木三重吉の手による翻訳である。

 他には森鴎外が3作品(鴎外漁史とは誰ぞ夏目漱石論Resignation の説)、菊池寛が2作品(納豆合戦ある抗議書)、宮沢賢治が1作品(銀河鉄道の夜)、倉田百三が1作品(学生と読書)、田畑修一郎が1作品(鳥羽家の子供)、渡辺温が1作品(兵士と女優)、福田英子が1作品(妾の半生涯)、原民喜が1作品(夏の花)、公開されている。

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book 門田裕志 2005-12-19T06:01:30+09:00
空色通信 2005年9月号 http://www.siesta.co.jp/aozora/archives/002443.html 2005年9月は、42作品のファイルが公開された。ニュースは特になし。

]]> 【公開作品】
 2005年9月には、42作品のファイルが公開された。なお、作品未公開のため機能しないリンクが一部ある。

 もっとも多くの作品が公開されたのは林芙美子で、9作品(瀑布小さい花崩浪亭主人摩周湖紀行瑪瑙盤「リラ」の女達淪落多摩川夜福)公開された。「摩周湖紀行」は北海道の旅の記録。「大島行」など、以外と林芙美子の紀行文は多い。

 次に多かったのが、宮原晃一郎で6作品(孝行鶉の話拾うた冠竜宮の犬悪魔の尾蛇いちご豆小僧の冒険)の童話が公開された。

 翻訳では大作、アンデルセン「即興詩人」が公開されている。森鴎外による翻訳である。

 「日本紀行文学全集」を底本に、北日本編から4篇、西日本編から5篇が公開されている。北日本編は、林芙美子「摩周湖紀行」、岩野泡鳴「日高十勝の記憶」、島木健作「東旭川村にて」、徳冨蘆花「熊の足跡」である。西日本編は、10月公開の作品を合わせて、近松秋江「伊賀、伊勢路」、近松秋江「伊賀国」、近松秋江「湖光島影」、木下杢太郎「京阪聞見録」、木下利玄「山陰の風景」、島崎藤村「山陰土産」である。

 まれびとプロジェクト(詳細はこちら)からは、2作品が登録である。折口信夫「古代に於ける言語伝承の推移」と「幣束から旗さし物へ」である。

 他には夢野久作が3作品(斜坑黒白ストーリー涙のアリバイ)、北村透谷が2作品(罪と罰(内田不知庵訳)「罪と罰」の殺人罪)、海野十三が2作品(空襲警報くろがね天狗)、倉田百三が2作品(学生と教養学生と生活)、竹久夢二が2作品(桜さく島 春のかはたれ桜さく島 見知らぬ世界)、宮沢賢治が1作品(学者アラムハラドの見た着物)、山下利三郎が1作品(流転)、小舟勝二が1作品(扉は語らず)、田中貢太郎が1作品(累物語)、内田魯庵が1作品(犬物語)、公開されている。

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book 門田裕志 2005-12-19T04:27:49+09:00
河童の恩返し http://www.siesta.co.jp/aozora/archives/002441.html 青空文庫非公認 分類番号フリフリ計画

ここは、みずたまりを恋しがる河童のたまりば。
公開中/作業中の作品を分類・点検します。

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1)公開中作業中リストをえらんで、
2)分類ミスや未分類の行をコピーして、
3)行頭に正しい分類番号を改めてフリフリしたうえで、
4)公開中/作業中いずれかを明示して、
5)このページへお書きこみください。

これまでの作業方針とおぼえがき
※ 河童の虎の巻 其の一:aozora blog:ジャンル別は便利!
         其の二:日本十進分類(NDC)表
         其の三:青空文庫 分野別リスト
※ 児童図書は、あたまに「K」をフリフリ。
  作品数が少ないので、積極的に児童図書に分類してます。
※ 複数の分類番号をふるときは、半角スペースで番号をわける。
※ 小数点以下までフリフリもよし。
※ たとえば、アンデルセンやメーテルリンクやイプセンのように、
  国籍など分類が悩ましいときは、
   NACSIS Webcat 総合目録データベースWWW検索サービス
  ここでアンデルセンなりメーテルリンクなりを検索して、
  記入してあるNDC番号を参考にフリフリ。
※ 不安・疑問なときは、あたまに「?」をフリフリ。
※ 青空文庫の作品は、いろいろな全集を底本にして入力してありますが、
  個々の作品に分類をつける場合は、「全集」という分類ではなく、詩なら詩、
  小説なら小説といった個々の作品の主題にあった分類にフリフリすること。

みほん(分類番号データ,著者名,作品ID,作品名、の順)
 〜公開中より〜
911,青木 栄瞳,900,野性のセロリ
913,芥川 竜之介,69,河童
K913,芥川 竜之介,43014,アグニの神
?253 936,ジョンソン リンドン,3624,アメリカ大統領就任演説

 
 公開:2005.12.18
 更新:2005.12.21
 しだひろし/PoorBook G3'99
 転載・引用・リンクは自由です。

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book PoorBook G3'99 2005-12-18T18:55:10+09:00
空色通信 2005年10月号 http://www.siesta.co.jp/aozora/archives/002421.html 2005年10月は、51作品のファイルが公開された。主なニュースとしてはみずたまりの閉鎖だろうか。

]]> 【主なニュース】
残念なことだけど、みずたまりの閉鎖が主なニュース(詳しくはこちら)。掲示板の今後についてはメーリングリストで話し合いが行われている。

【公開作品】
 2005年10月には、51作品のファイルが公開された。なお、作品未公開のため機能しないリンクが一部ある。

 もっとも多くの作品が公開されたのは岸田国士で、22作品(新劇運動の一考察海の誘惑遅くはない「文壇波動調」欄記事 02 (その二)「文壇波動調」欄記事 03 (その三)傍観者の言ポオル・エルヴィユウ幕間或る批評仮面座の宣言ブルタアニュの伝説より「文壇波動調」欄記事 04 (その四)劇壇漫評島国的僻見心平かなり用捨なき観客或る日の動物園「文壇波動調」欄記事 05 (その五)「文壇波動調」欄記事 06 (その六)戯曲二十五篇を読まされた話芸術と金銭『ハイカラ』といふこと、)。「岸田國士全集 20」に収録された大正末から昭和初期の随筆である。底本の分類では「随筆」となっているけれど、小説風の「海の誘惑」やフランスの昔話を収録した「ブルタアニュの伝説より」などいろいろとある。「「文壇波動調」欄記事」の「その一」は、2005年12月20日に公開予定。

 次に多いのが国枝史郎で、8作品(赤格子九郎右衛門の娘鴉片を喫む美少年鸚鵡蔵代首伝説郷介法師善悪両面鼠小僧二人町奴岷山の隠士村井長庵記名の傘、)公開された。代表的な長編は作業中なので、短編・中編の公開が続いている。国枝史郎は赤格子九郎右衛門という人物が気に入ったようで、娘だけでなく本人を取り扱った作品「赤格子九郎右衛門」もある。また、長編にも顔を出している(どの長編かは読んでみてのお楽しみ)。

 大衆小説の代表作、林不忘「丹下左膳」も公開された。青空文庫では、「丹下左膳」を乾雲坤竜の巻こけ猿の巻日光の巻の三部に分けて登録している。「こけ猿の巻」は、2006年1月8日公開予定である。

 妖しい味わいの作品としては、夢野久作が2作品(眼を開く骸骨の黒穂)、浜尾四郎が1作品(殺人鬼)公開された。怪談のような話という意味では岡本綺堂「停車場の少女(新字新仮名)」もここに紹介するべきかもしれない。「停車場の少女」は、新字旧仮名ファイルがすでに公開されている。今回は別底本による新字新仮名ファイルの公開である。

 「旧聞日本橋」が青空文庫で公開されている長谷川時雨のもう一つの著名な書籍「美人伝」から、「マダム貞奴」が登録されている。川上音二郎とともにアメリカに渡ったり、パリの博覧会に出たり、といった本当に波瀾万丈な生涯の一端が描かれている。

 他には夏目漱石が3作品(子規の画僕の昔西洋にはない)、森鴎外が翻訳を含めて2作品(冬の王渋江抽斎)、北村透谷が2作品(厭世詩家と女性処女の純潔を論ず)、竹久夢二が3作品(先生の顔都の眼コドモのスケッチ帖 動物園にて)、寺田寅彦が2作品(昭和二年の二科会と美術院人の言葉――自分の言葉)、島崎藤村が1作品(山陰土産)、林芙美子が1作品(濡れた葦)、牧野信一が1作品(鬼涙村)、公開されている。

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book 門田裕志 2005-12-02T07:20:50+09:00
「空色通信」開始の告知 http://www.siesta.co.jp/aozora/archives/002420.html 「空色通信」と題して、青空文庫の一月分の公開作品に簡単なコメントをする記事をアップしてみた。好評ならば、少し溯って記事を作成しましょう。

]]>  目的は、ひと月の青空文庫の動きを概観出来るようにすること。公開作品については、新着情報を利用すればいいのだけど、年明けにはリセットされてしまうので少し不便。タイミングとしては月末に、その月の青空文庫のニュースと公開作品へのコメントを記事にしてみたい。出来るだけ図書カードへのリンクを仕込んでみた。過去の作品とのリンクがある時には、昔の公開作品へのリンクも張っておきたい。もちろん、全ての作品を読んだ上での記事ではないので、お気に入りの作品への感想をコメント欄に寄せていただけるとありがたい。
 空色通信の第一号はこちら

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book 門田裕志 2005-12-01T22:40:02+09:00
空色通信 2005年11月号 http://www.siesta.co.jp/aozora/archives/002419.html 2005年11月は、53作品のファイルが公開された。主なニュースとしては「青空文庫本」の出版がある。

]]> 【主なニュース】
青空文庫の本が出版された(詳しくはこちら)。これで、青空文庫のことを知る人が増えてくれるといいなあ、と思う。

【公開作品】
 2005年11月には、53作品のファイルが公開された。

 もっとも多くの作品が公開されたのは岸田国士で、19作品(俳優の素質俳優養成と人材発見端役稽古雑感兵営と文学求貸家せりふ最もよく系統づけられた戯曲叢書練習曲新劇界の分野新劇協会の更生について新劇自活の道新劇運動の二つの道新劇協会公演に先だつて新劇の危機新国劇の「屋上庭園」を観て大正風俗考「ゼンマイの戯れ」に就て「ゼンマイの戯れ」に就いて)。「岸田國士全集 20」に収録された大正末から昭和初期の随筆である。私のお気に入りは「端役」。

 北村透谷は、8作品(各人心宮内の秘宮客居偶録鬼心非鬼心 (実聞)秋窓雑記主のつとめ心機妙変を論ず他界に対する観念三日幻境)公開された。バラエティに富んだ作品群である。これで北村透谷は32作品が公開されたことになる(一覧はこちら)。

 泉鏡花は、新字新仮名/旧字旧仮名の重複を含むが、6作品公開された(旅僧雪の翼雪霊記事(旧字旧仮名)雪霊記事(新字新仮名)雪霊続記(旧字旧仮名)雪霊続記(新字新仮名))。旧字旧仮名の「鏡花全集」底本のファイルが4つある。総ルビなのでxhtmlファイルがすごいことになっているが、Azurなどの縦書きブラウザで総ルビの鏡花を味わってほしい。「雪霊記事」「雪霊続記」は新字新仮名と旧字旧仮名の二つのファイルが公開されている。出来れば読み比べてみてほしい。

 変ったところでは、「鏡花全集」の付録冊子から、水上滝太郎「覚書」宮崎湖処子「泉鏡花作『外科室』」が公開されている。「泉鏡花作『外科室』」は新人作家としての泉鏡花への批評であり、「覚書」は鏡花への追悼文である。宮崎湖処子「泉鏡花作『外科室』」は、種々の傍点を駆使したテキストなので、出来ればAzurなどの傍点の違いを表示出来るブラウザで読んでほしい。

 島田清次郎は今回の公開作品が初登録である(「若芽」)。悲劇の作家、島田清次郎についてはリンク先などを参照。他にも大作が未着手である。公開作品に刺戟されて、入力してくれる人が現れることを望む。

 推理小説として、エドガー・アラン・ポー(佐々木直次郎訳)が2作品(メールストロムの旋渦ウィリアム・ウィルスン)、甲賀三郎が4作品(青服の男蜘蛛琥珀のパイプ黄鳥の嘆き)、公開されている。ポーは、ゴシックノベルという方が正しいかもしれない。

 他には、森鴎外が5作品(普請中文づかいなかじきり空車)、太宰治が3作品(佳日I can speak灯籠)、菊池寛が1作品(島原心中)、三遊亭円朝が1作品(松と藤芸妓の替紋)、鈴木三重吉が1作品(千鳥)、公開されている。円朝の語り口は、やはりさっぱりとしていてよい。

 来月の公開予定には、初登録の仁科芳雄の名前がある。他にもダンテ「神曲」などの大作もあるようだ。5000作品も近いので、今年の締めくくりの青空文庫を楽しみして、この記事を終わることにする。

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book 門田裕志 2005-12-01T22:36:08+09:00
記念撮影 http://www.siesta.co.jp/aozora/archives/002403.html インターネット図書館 青空文庫

きのうあたりから書店に並んでいる『インターネット図書館 青空文庫』の見本ができたのは今月7日のことでした。夕方ならばまちがいなく届いていると言われ、神保町にある出版元のはる書房に見本を見にでかけました。この目で完成した本を見たいという思いは同じなのか、関係者が勢揃いしました。編集統括の宮川典子さん(前列左)が用意してくださったスパークリングワインで乾杯! そして記念撮影をパチリ。

]]> 佐久間さん(後列右)は営業担当です。この日すでに大手書店から注文がはいっていました。青いカバーをとると表紙は純白。編著者野口英司さん(後列中央)のこだわりの色です。

富田倫生さん(後列左)が右手に持っているいやに目立っている本は『日本の論点2005』です。著作権について富田さんが書いているこの本も同じ日に届いたとのこと。あわせて読むとおもしろいと思います。

週末は本屋さんに行って、ぜひとも実物を見てください。

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book 八巻美恵 2005-11-19T02:05:28+09:00
インターネット図書館 青空文庫 http://www.siesta.co.jp/aozora/archives/002396.html インターネット図書館 青空文庫

青空文庫の本ができました。
http://www.harushobo.jp/2005_11_01.html
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来週の中頃には書店に並ぶんじゃないかと思います。
これで、著作権の保護期間70年延長について、少しは話題になってくれればと願ってます。

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book ag 2005-11-10T15:41:50+09:00
附子 http://www.siesta.co.jp/aozora/archives/002395.html  城の地下深く、ひとりこもって有毒植物をそだてる少女。生と死の秘密をさぐろうとする禁じられた探求。だれにもかすことのできない孤独な行為。同世代の友たちとたわむれるよりも、こわがられおそれられる異形の生物たちをいとおしむ。むしたましいをうばわれる、と人はいう。いっそ、あなたたちと一体になれたらいいのに、とさえ彼女は願う。

]]>  新聞社説は、さっそくのごとくネットの光と影論を展開する。ネットが子どもたちを危険にさらしてしまう、ネットの害悪、むかしはこんなことはなかった、ネットは危険だ、と。ネットが情報へのアクセスを驚異的に加速させたという面はまちがいないだろう。諸手をあげてITを称賛する気もない。ただし原因のすべてをネットのせいにしようとするならば、おそらくそれには無理がある。ネットのせいにしてしまっては、それ以上考えたことにならない。毎度毎度の思考停止もいいところだ。どうやらこの事件は“点”であり、線や面へと発展した形跡はみあたらない。それがせめてもの救いか。
 
 国内において、毒物事件が頻発している理由はさまざま推察できるだろう。また、さまざまな観点から推察がこころみられていいだろう。ここでは、地下鉄サリン事件の未清算、太平洋戦争での毒物使用の未清算、さかのぼって明治維新・戊辰戦争、さらにそれ以前の歴史の未清算が影響しているのではないか、という仮説をたててみます。過去の事件・歴史を清算できていないのではないか。過去を清算しないかぎり将来の再発はふせげないのではないか。ひとつひとつの事件・歴史を清算することこそが再発をふせぐ手だてになるのではないかとの仮定をたててみる。毒物事件がとりわけ日本国内に頻発しているように思えるのだが、それは気のせいだろうか。2001年アメリカ炭疽菌事件、2002年9月南京毒物混入事件などもたしかにあることはあった。単にメディア報道からあたえられるかたよった印象にすぎないのだろうか。
 社会への脅威、テロや戦争というと、飢餓や貧困や発展途上国が原因と思いやすい。しかしそれはおそらく先進国のおもいあがりだろう。じつのところ、先進国内部にこそ脅威を誘発する要因が散乱しているのではないか。政治やメディアは内側の脅威から目をそむけたがっているのではないか。すでに、内側の脅威を語る能力がおとろえてしまっているのではないか。外からやってくるスナフキンだけが問題なのではない。問われているのは、内側に存在するスナフキンとどうやって対話し、どうやってつきあうかなのだ。そもそもスナフキンを排除することは不可能だ。なぜならばスナフキンとは、ひとりひとりの内部に存在するからだ。 陳腐すぎ。
 毒物をわたしたち社会から完全に除外することはおそらく不可能です。毒物を製造し、利用し、管理することによってわたしたちの社会が成り立っているからです。毒物があることによって生活が保証されている。清潔好き・潔癖性の強い日本はとりわけ、大量の毒をまきちらすことによって生きている。文化的水準が高くなればなるほど、毒物への依存度が高いのが現実なのではないだろうか。存在そのものがすでに確信の共犯者なのだ。しらばっくれてもおそらくゆるされまい。彼女もオウムもまぎれもなく、わたしたちの落とし子なのである。
 地下鉄サリン事件をはじめとする個々の毒物事件や、ナチス・帝国日本軍など戦争における毒物兵器のことについては、ここではひとつひとつふれません。かなり強引な展開ですが、毒物の管理という点で話をすすめてみたいと思います。
 

***


 
 前方後円墳。二重三重の堀をめぐらしているもの。湖沼と隣接するもの。大阪城や江戸城などの城郭との類似も気になるところですが、ここで注目したいのは水との関係。奈良・大阪のものをみると、平地・川辺・海辺という立地の共通点があるように見える。貯水、灌漑かんがい……。しかしそれが目的ならばもっと合理的な形体があるだろう。高台の意味はなんだろう。海水位の上昇や河川の氾濫はんらんと関係ないものだろうか。水没の被害にあいそうなところに集中していないだろうか。避難所としての高台か……。しかしそれならば広い出入り口がなければ矛盾する。
 外界と遮断してあることで便利という使いみちもありえる。たとえばめずらしい家畜の飼育。外敵から防ぐことができるし逃げ出すことも少ないだろう。普段は放畜しておいて、必要なときに追い込んで捕らえることができる。門外不出の作物を育てることができたかもしれない。あるいは門外不出の作業もできるだろう。ただしこれにも無理がある。聖なる墓地の上で馬などとても放牧できなかったろうし、放牧が目的ならばあれほどの隆起は意味がない。明治以前は出入りの管理も比較的ゆるやかだったともいう。(※追記:この話題は唐突すぎ。不要だったか)
 
 附子ぶす。もしくは、ぶし。トリカブト。トリカブトを解毒して薬用にもちいる技術は中国から伝わったらしいが、それ以前からトリカブトは日本に自生していた。アイヌは狩りに使っていたともいう。附子ぶすを筆頭に、山野草やきのこなど自生する毒性植物はかぞえあげればきりがない。こんにちでもおもいのほか身の回りに毒を持つ植物があることにはおどろかされる。スイセン、スズラン、ジャガイモの芽……。動物性の毒としては、フグやマムシなどがある。鉱物性の毒としては水銀もあるし石見銀山ともよばれた殺鼠剤もある。そしてそれらは、単に毒があるというだけでなくて、解毒したうえで長く薬として重用され続けてきたものも多い。毒。生と死をつかさどる両義性。
 出羽三山にかぎらず、神聖視されて入山がきびしく制限されていた山地は全国各地にあります。女人禁制だけではない。男性でも制限されたり、時期によって制限されたり、入山できるところとできないところが区分されていたり、入山するとしてもかならず先導に従わなければならないとか、整備された山道からそれてはいけないとか。おまいり目的であれ狩猟目的であれ、ことこまかに約束ごとが決められていた。山をおそれうやまう対象としたいきさつには、きっとそういう山の管理という側面がおそらくあった。田畑が飢饉のばあいでも、山にはいろいろ食べられるものがある。悪事をはたらいて里にいられなくなったものが山へ逃げ込んで隠れ住もうとしたこともあったろう。諸藩の境界には関所・番小屋がもうけられ、手形の確認が義務づけられていた。田舎の山のほうではそれもいいかげんだったんじゃないかと思っていたのだが、どうやらとんでもないらしい。むしろ山のほうがきびしく融通がきかなかったとするむきもある。
 
 それを管理するのが修験者だったのではないか。
 確たる証拠はありません。けれども修験者は幕末のころまで民間医療の担い手でもあった。附子ぶすや石見銀山をはじめとした劇物や漢方を管理し、必要に応じて精錬したり調製したり吟味してほどこしていたのではないか。それが修験の役割のひとつだったのではないか。そういう技を組織的に伝授する集団としての修験。それが、江戸のなかごろからひんぱんにオランダ医術の優れたところをみせつけられるにしたがって、社会には西洋医学への期待がひろまる。祈祷やまじないにたよる修験のことを、いぶかしがり信用しなくなる。修験はもちろんそれを阻止しようとする。西洋医学は、自分たちの存在を否定しかねないからだ。しかし元来、医療行為という目的が同一だから、修験者のなかには西洋医学へ急接近するものたちもありえた。
 洋の東西をとわず、宗教とは科学であり医学であった。工学でもあり軍事学でもあった。治世側にとっては、先端科学を導入するにあたってそれにならぶ力が存在してもらっては困る。民衆に夢と希望をあたえるみなもとは、ひとつだけでなくてはならない。スムーズな変革のためにはいくつも太陽があっては困るのだ。それを阻害するものは、徹底的に無力化して組織を解体しなければならない。明治の廃仏毀釈・修験宗の廃止は、政治改革をともなった科学と宗教のパラダイム・シフトであった。

***

 藤原秀衡。後白河法皇。北条時頼。楠木正成。山本勘助。上杉謙信。伊達輝宗。真田幸村。服部半蔵。雑賀孫市。徳川家康。おもいつくままにあげてみたのだが、これら人物・武将に共通するのは“修験くささ”だ。修験は、頻繁に時の政治権力に接近しているように見えてしかたがない。ときに武将であったり、ときに朝廷であったり。
 修験にかぎらず、仏教はしばしば政治権力と同衾してきた。利用したり利用されたり、利用されたあげく捨てられたり、逃れようともがいたり。古今の歴史の中で宗教者・科学者・医学者が政治権力と接触した例はそれこそいくらでもある。ここではマンガ『蒼天航路』をテキストに曹操と華佗を見てみる。

 華佗かだ。三世紀、後漢末期の伝説の医師。麻酔薬・麻沸散をもちいて医療をほどこしたといわれる。曹操の頭痛を見立てたともいう。曹操は華佗に、医術をもって治世に仕えよと命じる。この国の病を治してみよという。不逞ふていであろうがなかろうが、それは些末さまつなこと。唯才ゆいざいただ才があれば用いよと絶叫する曹操。それに対し華佗は、国難の原因は儒が腐っていることであり、儒は国家の基本だから儒を正すことなしに国の根幹は定まらぬと言い返す。曹操は華佗に「(張仲景のごとく)医術の子細をしたためよ。秘伝秘術を公開し、医術を広めよ」と迫る。処方を公開することは誤診・悪用をも招く。医術は熟練者のみに口頭で伝授するもの、と華佗はつっぱねかえす。三国志演義では捕捉され獄をうける。正史でも職務放棄して帰郷したのち曹操に殺されるという。後年、江戸時代後期に花岡青洲が世界初の全身麻酔手術を行うもようは『花岡青洲の妻』(有吉佐和子,新潮社)にくわしいが、それはまた別の話。
 話は変わるが、最澄は空海に密教経典の貸し出しを依頼する。それに快くこたえていた空海だが、『理趣釈経』という書の貸与を望まれたときに、それをこばんだ。空海の言い分は、書いてあるものを読んで理解しただけでは、その教えの本随を理解したことにはならない。体得するためにはわれのもとに来て、直接学びを請うように、というものであった。
 曹操と華佗。最澄と空海。このふたつのエピソード、ここでは事実との真偽はさほど問題ではない。現代科学や現代医学、それから現代社会のかかえこんでいる問題の核心が、すでにここに収斂しゅうれんしていることに注目できる。創作者たちがそういうふうに読めるようにアレンジした、というほうが正確かもしれないが、それはそれで正しい歴史認識のありようだ。
 
 修験道もまた、重要な秘伝秘術は口伝であったという。ほかの宗派にくらべると、文献として記録するという慣習が少ない。まったく記録がないわけではないし、石碑や絵札などのかたちで残っているものもあるにはある。しかし、もっぱらが口頭伝承フォークロアである。歴史的に価値があるといわれているいっぽうで、修験道にはうさんくさくて信用するに根拠がとぼしい。まじめな研究者が安易にふれたがらず、解明がすすまなかった理由はそこにもある。
 口伝では、途中で変容したり抜け落ちたり解釈が変わったりしてしまい、本来の形が伝承できないのではないか、というふうに通常考えられる。ただし修験ではどうやらそうは考えないらしい。時代が変わり、ひとが変わりゆくのだから、それにしたがって奥義もまたうつろい変わってこそ当然ではないか。そう肯定的にとらえるらしい。うつろい変化してゆくことにこそ、奥義の奥義たるゆえんがあると。

 なんだか、修験道について記述しているつもりが、憲法論議とシンクロしてしまった気がする。改憲論者の言い分に酷似しているような気がする。つまるところ、改憲論者は大ボラ吹きの山伏修験者という結論か。ひとまず、そういうオチということにしておきたい。
 なお、毒物の出てくる古典にグリム兄弟の「白雪姫」、シェークスピアの「ロミオとジュリエット」などがある。また、子殺し・親殺しは、異人殺しとともに民俗学のあつかうテーマのひとつであり、うぶめ・姥捨て・家父長制・徒弟制といった社会システムへ言及を展開する可能性を持っている。毒物を子どもに飲ませた例としては伊達政宗の母・義姫がある。子に殺される例として斎藤道三、親を追放する例として武田信玄がある。手元にある「訂正古訓古事記」で、毒という文字を検索してみたのだが、該当文字は皆無。

(※追記:この原稿すべて感情的すぎ。もっとちがう構成があったはず)
 
 ◇参考
 蒼天考:蒼天航路考察サイト
 http://www.h2.dion.ne.jp/~soutenko/top.html
 『蒼天航路』王欣太・李学仁,講談社
 『空海の風景』司馬遼太郎,中央公論社
 
 
 
 2005.11.10
 しだひろし/PoorBook G3'99
 転載・引用・リンクは自由です。

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technology PoorBook G3'99 2005-11-10T00:40:11+09:00
幕府軍艦操練所 http://www.siesta.co.jp/aozora/archives/002383.html  龍馬好きがいらっしゃるようなので、その周辺と庄内のことなど。
 文久二年(1862)坂本龍馬が海舟門下に入ります。竜馬、二十八才。千葉重太郎とともに海舟をりに行って逆に感化されるエピソードは有名。海舟は龍馬らうさんくさい脱藩浪人をあつめて神戸に幕府の軍艦操練所をつくる。その後操練所が解散したあと、ひとつは龍馬ひきいる海援隊となって薩長同盟に一役買い、商社への道をたどることになる。もう一方は榎本武揚の引きつれる旧幕残党となって函館・五稜郭へ向かい、戊辰戦争の幕引き役をになう。そののちも日本近海を防衛する帝国海軍へと道をあゆむ。(要確認)
 龍馬や海舟が出羽や庄内へ来たという記録はありません。おそらく二人とも来たことはない。ところが軍艦操練所のメンバーを見てみると、けっこう庄内出身者がいたことにおどろかされます。今回は現時点でわかったところまでをかいつまんでメモしておきます。

]]>  筆頭は佐藤与之助。政養まさよし。庄内藩遊佐升川出身。農家の出。与之助は島田虎之助の紹介で勝の門弟になる。島田は名の知られた剣客。庄内に来て剣技を披露したところ、与之助が弟子入りを願ったらしい。しかし、弟子はとらないと断られる。そのかわりに江戸の勝海舟を紹介される。小説『大菩薩峠』には島田虎之助が登場しますが、与之助に関する記述はちょっと見つけられませんでした。
 安政元年(1854)三十四才のときに勝の塾に入門。蘭語や砲術を学ぶ。それから長崎で海軍伝習生としてフルベッキから軍艦操練術や測量術をまなぶ。万延元年に勝が咸臨丸で渡米のさいは、その留守をあずかる。幕府からの命で蘭書翻訳方をもつとめる。勝に横浜の開港を献策したのも与之助だったらしい。龍馬が門下に入ったとき、与之助は四十一才。龍馬は浪人。与之助は庄内藩士身分。
 与之助は終始一貫、攘夷運動とは一線を画して関与しなかったという。維新の動乱のなかで庄内藩がその渦中にあったときも、海舟のそばをはなれなかったようだ。明治四年、民部省出仕鉄道助に任じられ、新橋・横浜間鉄道の布設につとめる。翌年開業。明治九年ごろから病気がちになって肺結核のため勝海舟宅で急逝する。享年五十七。

 杉 享二。勝塾の塾長をつとめたというから、与之助と同年代だろうか。出身地などくわしいことはまだ調べてませんが、娘・里子が鶴岡の小説家・高山樗牛の妻となる。
 婚姻関係でいえば、榎本武揚の妻・たつは幕府奥医師・林洞海の娘であり、林洞海は松本良順・林 薫・佐藤泰然らとつながる。彼らは庄内遊佐升川出身・天保義民とよばれた佐藤藤佐とうすけの子孫。
 高木三郎。旧姓、黒田友敬。江戸出身の庄内藩士。天保十二年生まれ。与之助とは二十才ちがう。こちらは庄内藩世子忠恕の相手役をつとめているエリート。安政六年、藩命を受けて勝の軍艦繰練所に入る。異色なのは戊辰戦争の前年、慶応三年四月にアメリカへ留学。明治五年二月に米国在留弁務使館書記。サンフランシスコ副領事、ニューヨーク領事となる。どうやら維新の戦火にまきこまれなかったらしい。長くアメリカに駐留して対米折衝につとめている。使節団が出かけるさいの現地手配役といったところか。十三年に官を辞したあとは生糸の輸出業をはじめている。享年六十九。

 ここでフルベッキについて。Verbeck, Guido Herman Fridolin。1830年生まれ。オランダ、ユトレヒト出身。アメリカのオランダ改革派協会から宣教師として派遣。安政六年(1859)来日。長崎や佐賀で布教のかたわら英語教師をつとめる。専門は工学。フルベッキから教えをうけた者は多い。伊藤博文(長州)・大久保利通(薩摩)・大隈重信(長崎)・副島種臣(佐賀)。明治31年東京にて没する。
 本間郡兵衛。おそらく山形でも知る人は少ない。号を北曜ほくようともいう。文政五年(1822)酒田生まれ。与之助の一才年下になる。姓から察しのつくとおり、酒田の大富豪本間家の分家筋にあたります。十七才で江戸に出てから、蘭学を学び、彫刻を学び、さらに葛飾北斎から絵を学んだという。これだけでもかなりトリッキー。安政二年(1855)蕃書調所にて洋学の翻訳に従事して以降、勝塾の蘭学教師をつとめる。与之助とほぼ同期。長崎海軍伝習所の通訳となり、フルベッキから英語を習う。文久二年(1862)欧米や清国を巡遊。さらに鹿児島開成所の教師をつとめる。慶応二年(1866)開成所を辞し大阪で勤王運動を画策。酒田へ戻ったところ捕らわれ、鶴岡の親戚方に幽閉中死亡。慶応四年没。享年四十七。一説に毒殺ともいわれる。
 赤沢隼之助はやのすけ。1839年生まれ。高木三郎の二才年上。庄内出身。安政六年(1859)海軍繰練所に入り勝の指導を受ける。与之助や郡兵衛よりもあとだが龍馬より先の入塾。慶応二年十二月勝塾で捕縛される。庄内に送られて牢内で断食して死亡。享年二十九。つまり佐藤与之助や高木三郎が恵まれて出世できたのに対して、本間郡兵衛や赤沢隼之助らは同郷出身にもかかわらず、凄惨な最期をとげることになる。凄惨な人生という点では、後者に清河八郎や弟・斎藤熊三郎を加えてもいいかもしれない。
 会津藩のように老若男女が死闘し、なおかつ斗南へ強制移住させられたことにくらべると結果的にではあっても、庄内藩はめぐまれている。しかしその影に、おもてにされずに暗に葬られた者たちが累々といることに気づかされる。当地出身者ばかりでない。庄内藩あずかりだった新徴組浪士たちは、最後まで庄内藩士らと行動をともにして官軍にあらがったにもかかわらず、無惨な結末に終わっている者たちが少なくない。調べれば調べるほどそういう人物たちが現れてくるのだ。
 『奥羽越列藩同盟 東日本政府樹立の夢』(中公新書,1995)のあとがきを星亮一は「日本の戦後処理のまずさは第二次世界大戦でも指摘されているが、戊辰戦争でもまったく同じで、賊軍の名で奥羽越を一方的に片付け、日本の近代史にとって、戊辰戦争とは一体なんだったのかを十分に討議・検証することなく、歴史の闇に葬ってしまった。これは日本人の恥ずべき歴史感覚である」と強い口調でしめくくっている。賊軍の名で奥羽越を一方的に片付けているのは、勝者の側ばかりではない。敗戦した側もまた、じぶんたちの過去を葬り去ろうとしている。戊辰で流れた血。沖縄・広島・長崎で流れた血。安保闘争・学生紛争で流れた血。現在国内外で流れている血。まぎれもないリフレイン。

 陸奥宗光。土佐出身で龍馬の弟格 紀州藩出身で海援隊所属。あらためていうまでもありませんが、聡明で弁舌に優れのちに外務大臣をつとめることになります。明治十一年西南戦争のくわだてが未然に発覚してとらえられ山形の監獄へ投ぜられる。遠方流罪のようなものだろうか。十二年十一月に仙台の監獄へ移動するまでのあいだ、山形旅篭町旅館亭主・後藤又兵衛が衣食等身辺の差し入れや家族との連絡などの世話をつとめている。宗光は獄中でベンサム『プリンシプルス・オフ・モラル・エンド・レジストレーション』の翻訳などを手がける。十五年十二月、特赦放免され出獄。
 関口隆吉たかよし。江戸出身の幕臣。この人物も今後のくわしい調査を要します。江戸九段坂で勝海舟を暗殺しようとしたことがあるらしい。戊辰時、輪王寺宮を擁しての義挙計画では中軍参謀に予定されたともいう。維新後、山形・山口・静岡などの県令をつとめる。
 益満休之助。西郷吉之助の腹心。江戸市内撹乱の中心人物ともいう。薩摩藩邸焼き討ちのとき逃げ遅れて逮捕される。勝海舟の家に居候。山岡鉄太郎が駿府駆けをしたとき官軍の中を突破する案内をした。(追記:関口隆吉と益満休之助は操練所に所属したわけでなく、海舟と関連あるということでとりあげました。タイトルが「幕府軍艦操練所」だったので、ちょっと誤解をまねきかねない列挙だったか)

 ざっと、このようなぐあいです。なお海舟は、酒田の本間家に言及したことがあるらしい。積善の家に余慶ありを旨とし、百姓一揆はなかったとされる本間家を、勝は、すぐれた家訓・家憲を持つゆえといってほめたという。
 『竜馬がゆく』のなかで司馬さんはたびたび清河八郎を登場させています。ただし、佐藤与之助については書いていなかったはずです。本間郡兵衛についてもおそらく書いていない。ざっと見たところ『街道をゆく』の横浜・神戸編にも見あたりませんでした。清河は1830年生まれだから与之助・郡兵衛の十才ほど年下になります。何かつながりがあってもふしぎではない。そう思っていたら案の定、八郎の日記『西遊草』に佐藤与之助の出てくるところを見つけました。みじかく「旧知の与之助あてに江戸で手紙を出した」とある。詳細はわかりません。が、面識と交流のあった可能性があります。
 与之助や郡兵衛の視点で庄内藩や維新のことを再点検したいのですが、出羽三山の明治維新を最優先にしたいものですから、その作業はすぐにはできそうもありません。ふれることはできますが、深く記述できそうにありません。佐藤賢一さん、もしくはほかのかたが掘り起こしてくださることを期待したいと思います。

 なお、清河八郎『西遊草』は、当時の庶民の記録としてたいへん参考になります。今の感覚だからでしょうか。母親との全国道中記というのもめずらしい。行く先々で話のネタを仕入れてはこまめに書きとめている。酒造屋のせがれなので芭蕉のようなジリ貧の行脚とも異なります。山形の侠客の親分の名前なども書き記してくれている。当時、山形に狼がいたのか疑問に思っていたのですが、それについても書いてあります。天童から東根へいく途中、このあたりは狼が多いから気をつけるようにと注意をうけている。
 「清河八郎と陽明学」の回で、八郎の羽織の紋について「震為雷しんいらい」と書きました。しかし、早とちりだったかもしれません。高野澄『清河八郎の明治維新』の表紙にあるイラストを見たところ八郎の紋は「震為雷」に見えました。ところが後日、小山松勝一郎『清河八郎』(新人物往来社、1974)や大川周明『清河八郎』を見ると表紙に異なる紋が刻印してあります。こちらは「雷火豊らいかほう」。豊とは盛大。明と動が相助けあって盛大となる象なので豊。盛大であれば亨通する。天下の中で一番の盛大を極めることができるのは王者。しかし盛極に至れば当然次は衰えるようになるが、いたずらに憂えても益はない。よく常を守って盛んに過ぎることなきように努めれば憂いはない、の意(『増補版運勢大事典』より)。震為雷・雷火豊、いづれが正しいか。また記念館へ行く機会があれば確認したいと思います。

 ◇参考資料
 『新編 庄内人名辞典』1986.11.
 『山形県の歴史散歩』1993.2.
 『ものがたり庄内と人物』大泉散士1988.3.
 『山形市史』
 『西遊草』清河八郎
 
 
 
 2005.11.2
 しだひろし/PoorBook G3'99
 転載・引用・リンクは自由です。

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etc PoorBook G3'99 2005-11-02T22:34:56+09:00
水牛だより11月1日 http://www.siesta.co.jp/aozora/archives/002381.html 冬の足音がたしかに聞こえる今日、水牛レーベル8枚目のCD、日本語で歌う「冬の旅」を発売しました。ジャケットぜんたいのデザインが独特です。水牛のCDはいつも紙のジャケットにしていますが、これまでのようにボール紙に別の紙を貼ったタイプではなく、厚紙に直接印刷して、折りたたみ糊付けしてあります。二つある入口の片方にCD、もう片方に歌詞カードが入っています。作ってくれたのは旭川にある印刷所です。親切できちんとしていて安くて速い! 電話とメールで連絡とデータをやりとりし、翌朝配達の宅急便があるおかげで、距離を感じることはあまりないのです。

]]> 11月19日はシューベルトが亡くなった日です。「冬の旅」東京公演はこの命日をはさんだ三日間。出演者と会場の都合をあわせて決めた日程が偶然こうなっていたのでした。はたして偶然なのだろうか、と思ってみるのも興味深いものです。コンサートのための新作の詩をご紹介します。おそらく死を意識していたころのシューベルトの詩です。どんな歌なのか、それは当日のお楽しみ。

   民衆に訴える
     フランツ・ペーター・シューベルト(作曲・訳詞:高橋悠治)

  時代の青春は終わった
  民衆の力も
  流れ行く群衆のなかに埋もれて
  使いはたされた

  苦しみにさいなまれ
  あの力の名残りさえ
  時代にさまたげられて
  実りなく消える

  民衆は歌を忘れて
  病んだ時代をさまよう
  あの日の夢を捨てて
  顧みることもなく

  ただ歌だけが運命に
  立ち向かう力をくれる
  かがやく思い出をえがき
  苦しみを和らげて

「水牛のように」を2005年11月号に更新しました。
雑誌の目次のように、原稿の順番をきめるのは更新のための最後の楽しみです。今月はタイからはじまってインドネシア、イラク、イタリア、ドイツとめぐり、どこともわからないふしぎの国に足をふみいれ、日本へというふうにしてみました。テーマをもうけることはしないので、「水牛のように」は目的のない旅のようなものです。

新しく出た藤本和子さんの翻訳を2冊。
『不運な女』は1982年にピストル自殺をしたリチャード・ブローティガンの遺品の中からひとり娘が発見した最後の小説です。藤本さんが書いた『リチャード・ブローティガン』をあわせて読むとよりおもしろいと思います。
『闇の夜に』はブルーノ・ムナーリの絵本。イタリア語版とおなじくイタリアで印刷されています。黒や半透明の紙が効果的に使われていて、ページをめくるのが楽しい。簡素な日本語にもつい見入ってしまいます。

11月30日には金沢で「冬の旅」の公演があります。翌日12月1日に帰ってから作業をしますから、更新はいつもよりおそく、1日夜になると思います。そして3日からは北海道ツアーです。どこでもおいしいものが待っていてくれそう。暗い冬の北に旅する者の特権です。

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web 八巻美恵 2005-11-01T11:07:47+09:00
スクリーンの中の霧の情景 http://www.siesta.co.jp/aozora/archives/002375.html  そういえば安彦良和の作品にも雪が描かれていました。『王道の狗』『虹色のトロツキー』。
 霧となるとなかなか思い出せません。そもそも少ないのでしょうか。ちなみに雨のにおいはちょっとわかりません。『ブレード・ランナー』は全編通して雨。スコットランドが舞台の『ブレイブ・ハート』、リュック・ベッソン『ジャンヌ・ダルク』。香港映画の竹林や上海にも霧が似合にあう。西部劇では思い出せないけれどもニューヨークの摩天楼も相性がいい。『マッド・マックス』も曇天の世界。『ランボー』にもあったような気がする。ドイツの黒い森シュバルツバルトやオーストリアにも似合にあうだろう。『七人の侍』はドシャ降りだったけれど霧はなかった気がする。

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***


 
 霧の都ロンドン。ホームズものにも必ず霧が登場する。霧のなかの石だたみを馬車がかけてゆく。姿のみえないうちにひづめの音が聞こえてくる。ステッキの音。靴音。ビッグベンの鐘の音。露天商の声。19世紀末。ただしロンドンの霧は fog ではなくて smog だったろうという説がある。おそらくそれが正しい。当時、木炭や石炭を燃料とした蒸気機関が爆発的に普及する。熱された蒸気スチームにまじって、すすけた煙が街中にたちこめていた。煤煙。煙霧。……な〜んて知ったようなことを言ったりなんかしちゃったりして。
 
 ホームズの宿敵、アルセーヌ・ルパンにも霧が似合にあう。『奇岩城』という作品があります。とある海沿いの片田舎。先端のとがった巨岩が海面から高く突き出ている。つねに海霧をまとって。ルパンものには痛快な作品が多いなかで、この『奇岩城』は悲哀感がただよっていました。もっとも好きな作品かもしれません。南洋一郎訳。挿絵は……。
 

***

 波乗りをしていて、しだいに霧におおわれたことが何度かあります。まず、水平線が不明瞭になります。近づいてくる波も見えにくくなる。それから周囲が見えなくなる。沖のほうだけでなく、ふりかえっても浜がかすむ。たいていこういう天候のばあい、さほど波質はわるくありません。とりたてて良質の大きな波というわけではないけれど、無風なので海面がさざなみ立っていない。視界がうばわれると、聴覚や触覚がはたらきます。静寂。心ぼそくなるくらい。うしろのほうで波がブレイクする音だけが聞こえる。それから、体がゆっくりと上下にもちあげられたりすうっと落とされる。海水が、なんだか水という気がしなくなる。小高い山のような物体。それが霧のなかを近づいては足の下を通りすぎていく。
 
 宮崎さんの作品には雲につっこむ場面がくりかえし登場します。『もののけ姫』でも山霧につつまれるシーンがある。霧雨。雲影。それが風にのって下手へ流れすぎると、一転して陽差しがもどってくる。映像クリエーターとしては描きたくなるのがよくわかる。ただし、その挑戦は気をつけないと製作側の自己満におちいる。リアルにナチュラルを求めるのであれば、実写を撮影して合成してしまえばいい。どちらかといえばラピュタやトトロや魔女宅のデフォルメした自然描写のほうが成功していた。成功していたイコール、個人的に好きだった。描きこまないリアリズム。
 

***


 
 雲の峰 いくつくずれて 月の山   芭蕉
 
 芭蕉と曾良が出羽に入った新緑の季節、たびたび雨にみまわれます。遠景はのぞめなかったとしても川霧やもやがかった山並みを見ていたかもしれない。雨天が芭蕉たちをその土地に逗留させ、かずかずの名句やエピソードを残させることになります。茂吉のおっさんもまたしかり。
 最上川。それから支流の寒河江さがえ川、川、馬見ヶ崎まみがさき川、立谷川たちやがわ。東西に山地・山脈にさえぎられた村山盆地は、夏はあたたまった空気が、冬は冷気が流れ込んでとどまる。条件がそろうので、この一帯は四季を通じて霧やモヤがたちこめやすい。昭和8年7月、40.8 ℃という国内最高気温を観測した記録も今なおやぶられていない。つらつら考えるにこの気候条件・立地条件と、出羽三山というユニークな山岳修験が発生して千数百年間にいたることとは、おそらく偶然ではありません。
 
 戦争の記録には、その日の詳細な天候が記述されていることがしばしばあります。それを手がかりに、印象的な歴史的戦闘シーンが霧の情景をともなって映像の中に再現されます。霧。視界をうばわれるということは戦闘オペレーションの遂行に最適、攻めるに好条件。倶利伽羅くりから峠、桶狭間の戦い、本能寺の変、川中島の戦い、ノルマンディー上陸、鳥羽伏見の戦い、廬溝橋ろこうきょう事件。(要確認)
 
 明治六年九月。西川須賀雄がはじめて羽黒山へ駕籠かごで訪れたとき、小雨が降っていた。
 慶応四年三月、上野の寛永寺で彰義隊が砲撃にあうのも雨の中。閏四月、慈恩寺に本陣を置いた庄内藩は、官軍の進出していた天童を濃霧のなか攻撃する。改元して明治元年九月二〇日。早朝濃霧の中、寒河江にて官軍と伊勢・桑名藩士らが交戦する。桑名軍はその日の夜、慈恩寺から葉山をこえ肘折まで敗走する。二日後、会津藩が降伏。その翌日に庄内藩も降伏を決定する。
 
 
 
 2005.10.17 上海にて巴金死去。享年100。
 2005.10.29
 しだひろし/PoorBook G3'99
 転載・引用・リンクは自由です。

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movie PoorBook G3'99 2005-10-29T08:05:59+09:00