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タコの頭にはちまき巻いて、きゅーっとしめたら、しまらない♪
電線に鳥インフルエンザ。おっとっとっと。あいの子リーだ。
伝説のワン・ナイト・カーニバル。ラブ・マシーン。
おくさん、エロリスト、マイアヒ、ペコリナイト、山川です。
格闘技はフィクションだ。口パク・カラオケはドキュメンタリーだ。
ニートか、一級建築士か。それが問題だ。
HG(HaGe)レーザープリンタ、ふぉー。
陀落せよ。
by むてきんぐ@タツノコ
***
風博士
坂口安吾
諸君は、東京市某町某番地なる風博士の邸宅をごぞんじであろうか? ごぞんじない。それはたいへん残念である。そして諸君は偉大なる風博士をごぞんじであろうか? ない。ああ。では諸君は遺書だけが発見されて、偉大なる風博士じたいは
風博士の遺書
諸君、彼はハゲあたまである。しかり、彼はハゲあたまである。ハゲあたま以外のなにものでも、だんじてこれあるはずはない。彼はカツラをもって之の
諸君、余をさして
諸君、彼は余の憎むべき論敵である。たんなる論敵であるか? いやいやいな。千辺いな。余の生活のすべてにおいて彼はまた余の憎むべきかたきである。じつに憎むべきであるか? しかりじつに憎むべきである! 諸君、彼の教養たるやあさはかしごくでありますぞ。かりに諸君、聡明なること世界地図のごとき諸君よ、諸君は学識深遠なるタコの存在を認容することができるであろうか? いやいやいな、万辺いな。余はここに
諸君は南欧の小部落バスクを認識せらるるであろうか? もしも諸君がフランス、スペイン両国の国境をなすピレネー山脈をさまようならば、諸君は山中に散在する小部落バスクに
さて諸君、彼の悪徳を列挙するは余のはなはだ不本意とするところである。なんとなれば、その犯行は奇想天外にして識者の常識をがえんぜしめず、むしろ余に対して誣告の誹を発せしむるうらみあるからである。たとえば諸君、
賢明にして正大なること太平洋のごとき諸君よ。諸君はこの悲痛なる
ここにおいてか諸君、余はふんぜん
しかるに諸君、ああ諸君、おお諸君、余は敗北したのである。悪略神のごとしとはこれか。ああタコはクセモノの中のクセモノである。だれかよく彼の深謀遠慮を予測しうるであろうか。翌日彼のハゲあたまはふたたびカツラに隠されていたのである。じつに諸君、彼はひそかに別のカツラを貯蔵していたのである。余は負けたり矣。刀折れ矢尽きたり矣。余の力をもってして、彼の悪略におよばざることすでに明白なり矣。諸氏よ、だれ人かよくタコを
諸君は偉大なる同博士の遺書を読んで、どんなにふかい感動をもよおされたであろうか? そしてどんなにはげしい怒りをおぼえられたであろうか? ぼくにはよくお察しすることができるのである。偉大なる風博士はかくて自殺したのである。しかり、偉大なる風博士ははたして死んだのである。きわめて不可解な方法によって、そして
偉大なる博士ははなはだあわて者であったのである。たとえば今、部屋の西南端にあたる長イスに腰かけて一冊の書に読みふけっていると仮定するのである。次の瞬間に、偉大なる博士は東北端のひじかけイスにうもれて、じつにあわただしくページをくっているのである。また偉大なる博士は水を飲むばあいに、とつじょコップをのみこんでいるのである。諸君はそのとき、じつにあわただしい後悔といっしょにたそがれに似た沈黙がこの書斎にとじこももるのを認められるに相違ない。したがって、このあわただしい風潮は、この部屋にあるすべての物質を感化せしめずにおかなかったのである。たとえば、時計はいそがしく十三時を打ち、礼節正しい来客がもじもじして腰を下そうとしない時にイスははげしいかんしゃくをならし、物体の描く陰影はとつじょ太陽にむかって走り出すのである。すべてこれらのろうばいはきわめて直線的な突風を描いて交錯するために、部屋のなかには何本もの飛ぶ矢に似た真空が
さて、事件のおこった日は、ちょうど偉大なる博士の結婚式にそうとうしていた。花嫁は当年十七歳のたいへん美しい少女であった。偉大なる博士が彼の女に目をつけたのはさすがに偉大なる見識といわねばならない。なんとなればこの少女は、街頭に立って花を売りながら、三日というもの一本の花も売れなかったにかかわらず、主として雲をながめ、ときたまネオンサインをながめたにすぎぬほど悲劇に対してむじゃきであった。偉大なる博士ならびに偉大なる博士などの描く旋風に対照して、これほどふさわしい少女はまれにしか見あたらないのである。ぼくはこの幸福な結婚式を祝福して牧師の役をつとめ、同時に食卓給仕人となる約束であった。ぼくはぼくの書斎に祭壇をつくり花嫁とむきあせに端座して偉大なる博士の来場をまちかまえていたのである。そのうちに夜があけはなれたのである。さすがに花嫁はおどろくような軽率はしなかったけれど、ぼくは内心おだやかではなかったのである。もしも偉大なる博士はまちがえてほかの人に結婚を申しこんでいるのかもしれない。そしてそのときどんな恥をかいて、地球一面にあわただしい旋風をまきおこすかもしれないのである。ぼくは花嫁に理由をのべ、自動車をいそがせて恩師の書斎へかけつけた。そしてぼくは深く安心したのである。そのとき偉大なる博士は西南端の長イスにうもれて
「先生約束の時間がすぎました」
ぼくはなるべく偉大なる博士をおどかさないように、とくに静粛なポーズをとって口上をのべたのであるが、結果においてそれは偉大なる博士をおびやかすにじゅうぶんであった。なぜなら偉大なる博士は色はあせていたけれど燕尾服を身にまとい、そのうえひざがしらにはシルクハットをのせて、たいへんりっぱなチューリップを胸のボタンにはさんでいたからである。つまり偉大なる博士は深く結婚式を期待し、同時に深く結婚式を失念したに相違ないいろいろの条件を明示していた。
「POPOPO!」
偉大なる博士はシルクハットをかぶりなおしたのである。そして数秒の間うたがわしげにぼくの顔をみつめていたが、やがて失念していたものをありありと思いだした深い感動があらわれたのであった。
「TATATATATAH!」
すでにその瞬間、ぼくはするどいさけび声をきいたのみで、偉大なる博士のすがたはけとばされたトビラのむこう側に見失っていた。ぼくはびっくりして追跡したのである。そして奇跡のおこったのはすなわちちょうどこの瞬間であった。偉大なる博士のすがたはとつぜん消えうせたのである。
諸君、開いた形跡のない戸口から、人間はぜったいに出入りしがたいものである。したがって偉大なる博士は外へ出なかったに相違ないのである。そして偉大なる博士は邸宅の内部にもいなかったのである。ぼくは階段のとちゅうに凝縮して、まだ響き残っているそのあわただしいあしおとを耳にしながら、ただ一陣の突風が階段の下に舞い狂うのを見たのみであった。
諸君、偉大なる博士は風となったのである。はたして風となったか? しかり、風となったのである。なんとなればそのすがたが消えうせたではないか。すがた見えざるは之すなわち風であるか? しかり、之すなわち風である。なんとなれば姿が見えないではないか。これ風以外のなにものでもありえない。風である。しかり風である風である風である。諸氏はなお、この明白なる事実をうたぐるのであろうか。それはたいへん残念である。それではぼくは、さらにうごかすべからざる科学的根拠をつけくわえよう。この日、かの憎むべきタコ博士は、あたかもこのおなじ瞬間において、インフルエンザに犯されたのである。
底本:「坂口安吾全集1」ちくま文庫、筑摩書房
1989(平成元)年12月4日第1刷発行
1989(平成元)年12月25日第2刷発行
底本の親本:「黒谷村」竹村書房
1935(昭和10)年6月25日発行
初出:「あおい馬 第二号」岩波書店
1931(昭和6)年6月1日発行
入力:砂場清隆
校正:伊藤時也
2005年11月19日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアのみなさんです。
【公開作品】
2005年12月には、39作品のファイルが公開された。なお、作品未公開のため機能しないリンクが一部ある。
もっとも多くの作品が公開されたのは海野十三で、9作品(暗号数字、崩れる鬼影、もくねじ、沈没男、太平洋雷撃戦隊、空襲下の日本、獏鸚、火葬国風景、月世界探険記)。戦時下の世相を反映した作品が多い。面白いと思うのは「沈没男」。乗る船が、ことごとく沈没する男の顛末や、如何に。
次に多いのが岸田国士で、7作品(言はでものこと、芸術座の『軍人礼讃』、チロルの旅、言葉言葉言葉、上演料の話(仏蘭西)、「文壇波動調」欄記事 01 (その一)、十二月的感想)公開された。一篇を除き、「岸田国士全集19」底本の随筆であり、大正期に書かれている。「チロルの旅」や「海の誘惑」などの雑誌「女性」底本の作品は随筆と呼べるのかどうか、不思議な作品である。
翻訳が2篇公開されている(アンデルセン「雪の女王」とダンテ「神曲 03 天堂」)。「雪の女王」はクリスマスに公開された。ダンテ「神曲」はこれで、三部作全て公開となった(「01 地獄」、「02 浄火」、「03 天堂」)。
科学者、仁科芳雄の作品が初登録(株式会社科学研究所の使命 、日本再建と科学、国際学術会議への旅、国民の人格向上と科学技術 、ユネスコと科学)。今年末を飾る「ユネスコと科学」は、科学技術の利用に対する監視のための国際協力についての提言である。科学技術の是非について、考えさせられる文章である。
推理小説は、小酒井不木が3篇(深夜の電話、痴人の復讐、闘争)公開されている。大衆文学では、国枝史郎の少し短い長編「血曼陀羅紙帳武士」が公開されている。
泉鏡花は、明治期の作品2篇が公開されている(朱日記、妖術)。「朱日記」の「赤い猿、赤い旗な、赤合羽を着た黒坊主」というイメージは凄いと思う(他にも題名の通りに「朱」をモチーフにしたものがいっぱい登場する)。
他には蒲原有明が3作品(狂言綺語、虚妄と真実、長谷川二葉亭)、有島 武郎が2作品(潮霧、幻想)、太宰治が2作品(新郎、六月十九日)、南方熊楠が1作品(十二支考 04 蛇に関する民俗と伝説)、石川 啄木が1作品(我等の一団と彼)、公開されている。
最後になりましたが、入力してくださった方々、校正してくださった方々に感謝いたします。また、みなさんのお気に入りを、コメント欄で紹介してもらえると、うれしいです。
バックナンバーは、こちら。
]]>1894(明治27)年
「義血侠血」
1895(明治28)年
「愛と婚姻」「神楽坂七不思議」「外科室」「醜婦を呵す」「旅僧」「夜行巡査」
1896(明治29)年
「紫陽花」「海城発電」「凱旋祭」「竜潭譚」
1897(明治30)年
「化鳥(新字新仮名)」「化鳥(新字旧仮名)」「鉄槌の音」「迷子」
1900(明治33)年
「高野聖」
1901(明治34)年
「いろ扱ひ」「三尺角拾遺 (木精)」「森の紫陽花」「雪の翼」
1902(明治35)年
「逗子だより」「山の手小景」「妖僧記」
1904(明治37)年
1905(明治38)年
「女客」
1906(明治39)年
「逗子より」
1908(明治41)年
「草迷宮」
1909(明治42)年
「小説に用ふる天然」
1910(明治43)年
「歌行灯」「お花見雑感」「国貞えがく」「作物の用意」「朱日記」「妖術」
1911(明治44)年
1912(明治45/大正元)年
「白い下地」
1914(大正3)年
「湯島の境内」
1915(大正4)年
「松翠深く蒼浪遥けき逗子より」
1917(大正6)年
「雛がたり」
1918(大正7)年
1919(大正8)年
1920(大正9)年
「月令十二態」「寸情風土記」「売色鴨南蛮」「伯爵の釵」
1921(大正10)年
「七宝の柱」「雪霊記事(新字新仮名)」「雪霊記事(旧字旧仮名)」「雪霊続記(新字新仮名)」「雪霊続記(旧字旧仮名)」
1922(大正11)年
1924(大正13)年
「小春の狐」「玉川の草」「栃の実」「二、三羽――十二、三羽」「眉かくしの霊」
1925(大正14)年
「怨霊借用」
1926(大正15/昭和元)年
「絵本の春」「城崎を憶ふ」「半島一奇抄」
1927(昭和2)年
「芥川竜之介氏を弔ふ」
1928(昭和3)年
1929(昭和4)年
1930(昭和5)年
「木の子説法」
1931(昭和6)年
「貝の穴に河童の居る事」「古狢」
1932(昭和7)年
1933(昭和8)年
「若菜のうち」
1934(昭和9)年
1935(昭和10)年
1936(昭和11)年
1937(昭和12)年
1938(昭和13)年
]]>http://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/pc/051216comment.html
2006年1月6日(金)午後5時が締め切りです。コメントは以下のフォームから、
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/pc/comment2_f.html
みなさま、どうぞコメントを寄せてください。
]]> 具体的に関係のあるそうな箇所を引用してみる。知的財産推進計画2005(2005年6月)(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/kettei/050610.html)からの引用である。「コンテンツビジネスを飛躍的に拡大する」から
ーーーーーーーーーー
4. コンテンツ流通大国に向けた改革を進める
(3) 法制度の改革を進める
映画の著作物については、その保護期間が「公表後50年」から「公表後70年」に延長されたが、映画以外の著作物に係る保護期間の在り方についても、著作物全体を通じての保護期間のバランスに配慮しながら検討を行い、 2007年度までに結論を得る。(文部科学省)
ーーーーーーーーーー
2007年度まで、ということは、2007年4月まで、ということですね。
また、同じく「コンテンツビジネスを飛躍的に拡大する」から
ーーーーーーーーーー
4. コンテンツ流通大国に向けた改革を進める
(3) 法制度の改革を進める
6) 権利者の利益と公共の利益とのバランスに留意する
コンテンツの保護を強化する一方で、権利者の利益と公共の利益とのバランスに留意することが必要であり、社会的に必要と考えられる公正な利用を促進する観点から、著作権法の「権利制限規定」の適当な分野における拡大等について検討を行い、2005年中に結論を得る。(文部科学省)
ーーーーーーーーーー
もう結論が出ているはずですが、現行の著作権法の精神を維持するだけでも十分だと思うのですけどね。
いろいろとツッコミどころはあるかと思いますが、みなさんのご意見を形にしてみて下さい。
もっとも多くの作品が公開されたのは僅差で海野十三で、8作品(浮かぶ飛行島、間諜座事件、人造人間戦車の機密、独本土上陸作戦、のろのろ砲弾の驚異、今昔ばなし抱合兵団、戦時旅行鞄、毒瓦斯発明官)が公開された。「人造人間戦車の機密」、「独本土上陸作戦」、「のろのろ砲弾の驚異」、「今昔ばなし抱合兵団」、「戦時旅行鞄」、「毒瓦斯発明官」は、新兵器発明王、金博士が登場する一連のシリーズである。残り5篇も校正が進んでいる。「浮かぶ飛行島」にはちょっと思出がある。「生きている腸」で海野十三を知って、早川文庫JAの短編集「十八時の音楽浴」を読んで、「こんな作家がいたのか」と驚いていた。随分昔のことなだけれど、短編ばかりでは物足りないぞと思っていた。(まだ、「海野十三全集」は刊行されていなかった)そんな時、講談社・少年倶楽部文庫の「浮かぶ飛行島」を古書店で見つけた。中編くらいの長さだけれど、読み応えがあって大変に面白かった。青空文庫を知った時に、岡本綺堂と海野十三の名前を見つけて、大変にうれしかった記憶がある。「浮かぶ飛行島」は少し軍事色が強いけれど、ついつい読んでしまう面白さがある。一度、覗いてみて欲しい。
林芙美子は、7作品(亀さん、梟の大旅行、美しい犬、狐物語、朝御飯、おにおん倶楽部、クララ)公開されている。
国枝史郎は、5作品(十二神貝十郎手柄話、弓道中祖伝、戯作者、仇討姉妹笠、銀三十枚)公開されている。連作長編と言った方がよい「十二神貝十郎手柄話」がやはりよい。主人公、十二神(オチフルイ)貝十郎のキャラクター造形もよいのだけど、それ以上に、もう一人のメインキャラクター、館林様こと松平冬次郎との掛け合いというか、関係が読んでいて気持ちがよいのである。「銀三十枚」は、国枝史郎には珍しい現代もの。『国枝史郎探偵小説全集』(作品社)という本が出版されたので、この本から、さらにいろいろな現代ものが入力できる。
寺田寅彦、北村透谷、ともに5作品が公開されている。寺田寅彦は、「喫煙四十年」「研究的態度の養成」「言語と道具」「工学博士末広恭二君」「高原」、北村透谷は、「想断々(1)」「想断々(2)」「富嶽の詩神を思ふ」「漫言一則」「我牢獄」である。
翻訳は4作品(アンデルセン「赤いくつ」、ディケンズ「二都物語 01 上巻」、バーネット「小公女」、魯迅「孔乙己」)公開されている。「小公女」という作品は、翻訳、映画、アニメなど紹介の機会が多い。しかし、それぞれの媒体で「解釈」とでもいうべきものが、いろいろと加わっているので、結構その印象が変わる。具体的には、1985年の日本のアニメーションとアメリカで製作された映画(どちらもDVDあり)を比べてみるよくわかる。実は、主人公のキャラクターそのものにまで違いが出て来る。今回公開の菊池寛訳と、グーテンベルグプロジェクトで公開されている原文を読み比べてみると、わかると思う(そのうち、このblogにまとめて書いてみたい)。
折口信夫の「死者の書 ――初稿版――」が公開されている。「死者の書」はこれで、都合3つのファイルが公開されたことになる。昭和文学全集底本の「新字新仮名」、角川書店の単行本『死者の書』底本の「旧字旧仮名」、そして、初出雑誌底本から起こしたこの「初稿版」である。初出雑誌から、単行本、全集へと収録される時に変っていった移り変りを知る事が出来る。
詩集が3篇公開されている。島崎藤村の「若菜集」と伊東静雄の「詩集夏花」「わがひとに与ふる哀歌」である。
他には宮沢賢治が3作品(カイロ団長、紫紺染について、ツェねずみ)、正岡子規が2作品(万葉集巻十六、万葉集を読む)、林不忘が2作品(あの顔、平馬と鶯)、津村信夫が1作品(挿頭花)、土田杏村が1作品(あしびの花)、島崎藤村が1作品(伊豆の旅)、南部修太郎が1作品(現代作家に対する批判と要求)、横光利一が1作品(無常の風)、高山樗牛が1作品(一葉女史の「たけくらべ」を読みて)、柴田流星が1作品(残されたる江戸)、夢野久作が1作品(女坑主)、公開されている。
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]]>【公開作品】
2005年7月には、57作品のファイルが公開された。なお、作品未公開のため機能しないリンクが一部ある。
もっとも多くの作品が公開されたのは海野十三で、15作品(断層顔、柿色の紙風船、疑問の金塊、ゴールデン・バット事件、蠅男、蠅、爬虫館事件、夜泣き鉄骨、科学が臍を曲げた話、三重宙返りの記、『十八時の音楽浴』の作者の言葉、人造物語、人体解剖を看るの記、成層圏飛行と私のメモ、『地球盗難』の作者の言葉)。小説が半分、随筆・評論が半分である。
次に多くの作品が公開されたのは、初代国会図書館館長、中井正一で、9作品(国立国会図書館について、図書館法楽屋話、図書館法の成立、「焚書時代」の出現、生まれ変った赤坂離宮、知識と政治との遊離、地方文化運動報告、野に山にかかる虹の橋、民族の血管)である。「「焚書時代」の出現」には、気になる一節があった。以下に引用しておく。
「 一歩退いて図書館界を省みると、この一隅の世界もまた、火炎の中にあるのである。いま、『群書類従』を古本として売れば、本としてよりも、紙として売る方が値がよいと専門家はいっている。本を読む、学を求めるものとしての日本民族のこころ根が、もはや良書をよむ力を失って、かかる良書を、硫酸でとかして、エロ本の材料としてしまうことを経済的構造をもってゆるすという段階に立至った。日本民族の教養の方向が、歴史以来初めての、大衆によって「焚書時代」の出現に向ったともいえるのである。始皇帝でもなく、ヒットラーでもなく、民族の教養低下が、大衆自らの文化遺産を硫酸で焼くという時代を生み出しているのである。立法的資料そのものが、法の運用のあやまりによって亡びようとする段階に、今、日本民族は立至っているのである。」(中井正一「「焚書時代」の出現」より)
久坂葉子の作品が6作品(久坂葉子の誕生と死亡、入梅、落ちてゆく世界、灰色の記憶、幾度目かの最期、華々しき瞬間)公開されている。神戸に住んでいたことがあるが、地元の作家として図書館に特設コーナーがあった。他にもまだ作品があるのだろうか。
翻訳は、6篇(アミーチス「母を尋ねて三千里」、アンデルセン「小夜啼鳥」、ジェファーソン「アメリカ独立宣言」、ドイル「暗号舞踏人の謎」、モーパッサン「初雪」、リカードウ「経済学及び課税の諸原理」)公開された。ジェファーソン「アメリカ独立宣言」は、福沢諭吉による翻訳である。ドイル「暗号舞踏人の謎」の翻訳者は、三上於菟吉(長谷川時雨の内縁の夫)である。
パリ祭の日(7月14日)には、岡本かの子「巴里祭」が公開されている。7月7日には、岸田国士「日本に生れた以上は」が公開されている。「日本に生れた以上は」を読んでいると、50年以上経っても、日本という国は、悪い意味であまり変っていないように思う。
朔太郎の詩集が3篇(青猫、純情小曲集、蝶を夢む)公開されている。「青猫」には、附録として「自由詩のリズムに就て」がついている。本格的な詩についての朔太郎の文献は「詩の原理」が校正中である。
他には国枝史郎が4作品(血ぬられた懐刀、正雪の遺書、柳営秘録かつえ蔵、前記天満焼)、宮沢賢治が3作品(とっこべとら子、なめとこ山の熊、祭の晩)、寺田寅彦が3作品(ゴルフ随行記、雑記帳より(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])、札幌まで)、新美南吉が3作品(うた時計、いぼ、かぶと虫)、岡本綺堂が1作品(停車場の少女)、種田山頭火が1作品(四国遍路日記)、正岡子規が1作品(墨汁一滴)、公開されている。岡本綺堂の「近代異妖編」は、図書カードに他の作品へのリンクがある。
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もっとも多くの作品が公開されたのは岡本綺堂と林芙美子で、それぞれ13作品。
岡本綺堂は、「三浦老人昔話」と近代異妖篇の12作品(白髪鬼、指輪一つ、離魂病、海亀、百物語、妖婆、木曽の旅人、こま犬、水鬼、鴛鴦鏡、鐘ヶ淵、西瓜)。「三浦老人昔話」は、半七捕物帳と同じ形式であるが、捕り物とは関係のない巷談と呼ぶべき内容である。近代異妖篇は、夏向きの話から寒い最中の話まで、いろいろな怪談がそろっている。近代異妖篇には、他に「停車場の少女」(新字新仮名、新字旧仮名)「影を踏まれた女」「月の夜がたり」「異妖編」がある。
林芙美子は、「愛する人達」「朝夕」「或る女」「お父さん」「玄関の手帖」「幸福の彼方」「子供たち」「婚期」「秋果」「就職」「清修館挿話」「谷間からの手紙」「鶴の笛」の13作品。
海野十三は6作品(空中墳墓、壊れたバリコン、殺人の涯、電気看板の神経、電気風呂の怪死事件、ネオン横丁殺人事件)が公開されている。推理小説を意識しているのは、わかるのだけれど、トリックがちょっと……という作品もある。「殺人の涯」のような妖しい味わいの作品としては、牧逸馬が4作品(上海された男、舞馬、助五郎余罪、夜汽車)、夢野久作が1作品(支那米の袋)、公開さている。
8月15日の周辺では、宮本百合子「獄中への手紙 12 一九四五年(昭和二十年)」、桐生悠々「煎じ詰めれば」「科学的新聞記者」が公開されている。一九四五年(昭和二十年)の8月15日をもって、「獄中への手紙」は終わるのである(この意味、わかりますよね)。また、桐生悠々の「科学的新聞記者」にあるような報道が果たして現代ではされているのだろうか、考えてみる価値はある。
翻訳は、チェーホフの2作品(「子守つ子」「てがみ」)が公開されている。鈴木三重吉の手による翻訳である。
他には森鴎外が3作品(鴎外漁史とは誰ぞ、夏目漱石論、Resignation の説)、菊池寛が2作品(納豆合戦、ある抗議書)、宮沢賢治が1作品(銀河鉄道の夜)、倉田百三が1作品(学生と読書)、田畑修一郎が1作品(鳥羽家の子供)、渡辺温が1作品(兵士と女優)、福田英子が1作品(妾の半生涯)、原民喜が1作品(夏の花)、公開されている。
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]]>もっとも多くの作品が公開されたのは林芙美子で、9作品(瀑布、小さい花、崩浪亭主人、摩周湖紀行、瑪瑙盤、「リラ」の女達、淪落、多摩川、夜福)公開された。「摩周湖紀行」は北海道の旅の記録。「大島行」など、以外と林芙美子の紀行文は多い。
次に多かったのが、宮原晃一郎で6作品(孝行鶉の話、拾うた冠、竜宮の犬、悪魔の尾、蛇いちご、豆小僧の冒険)の童話が公開された。
翻訳では大作、アンデルセン「即興詩人」が公開されている。森鴎外による翻訳である。
「日本紀行文学全集」を底本に、北日本編から4篇、西日本編から5篇が公開されている。北日本編は、林芙美子「摩周湖紀行」、岩野泡鳴「日高十勝の記憶」、島木健作「東旭川村にて」、徳冨蘆花「熊の足跡」である。西日本編は、10月公開の作品を合わせて、近松秋江「伊賀、伊勢路」、近松秋江「伊賀国」、近松秋江「湖光島影」、木下杢太郎「京阪聞見録」、木下利玄「山陰の風景」、島崎藤村「山陰土産」である。
まれびとプロジェクト(詳細はこちら)からは、2作品が登録である。折口信夫「古代に於ける言語伝承の推移」と「幣束から旗さし物へ」である。
他には夢野久作が3作品(斜坑、黒白ストーリー、涙のアリバイ)、北村透谷が2作品(罪と罰(内田不知庵訳)、「罪と罰」の殺人罪)、海野十三が2作品(空襲警報、くろがね天狗)、倉田百三が2作品(学生と教養、学生と生活)、竹久夢二が2作品(桜さく島 春のかはたれ、桜さく島 見知らぬ世界)、宮沢賢治が1作品(学者アラムハラドの見た着物)、山下利三郎が1作品(流転)、小舟勝二が1作品(扉は語らず)、田中貢太郎が1作品(累物語)、内田魯庵が1作品(犬物語)、公開されている。
最後になりましたが、入力してくださった方々、校正してくださった方々に感謝いたします。また、みなさんのお気に入りを、コメント欄で紹介してもらえると、うれしいです。
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]]>ここは、みずたまりを恋しがる河童のたまりば。
公開中/作業中の作品を分類・点検します。
1)公開中/作業中リストをえらんで、
2)分類ミスや未分類の行をコピーして、
3)行頭に正しい分類番号を改めてフリフリしたうえで、
4)公開中/作業中いずれかを明示して、
5)このページへお書きこみください。
これまでの作業方針とおぼえがき
※ 河童の虎の巻 其の一:aozora blog:ジャンル別は便利!
其の二:日本十進分類(NDC)表
其の三:青空文庫 分野別リスト
※ 児童図書は、あたまに「K」をフリフリ。
作品数が少ないので、積極的に児童図書に分類してます。
※ 複数の分類番号をふるときは、半角スペースで番号をわける。
※ 小数点以下までフリフリもよし。
※ たとえば、アンデルセンやメーテルリンクやイプセンのように、
国籍など分類が悩ましいときは、
NACSIS Webcat 総合目録データベースWWW検索サービス
ここでアンデルセンなりメーテルリンクなりを検索して、
記入してあるNDC番号を参考にフリフリ。
※ 不安・疑問なときは、あたまに「?」をフリフリ。
※ 青空文庫の作品は、いろいろな全集を底本にして入力してありますが、
個々の作品に分類をつける場合は、「全集」という分類ではなく、詩なら詩、
小説なら小説といった個々の作品の主題にあった分類にフリフリすること。
みほん(分類番号データ,著者名,作品ID,作品名、の順)
〜公開中より〜
911,青木 栄瞳,900,野性のセロリ
913,芥川 竜之介,69,河童
K913,芥川 竜之介,43014,アグニの神
?253 936,ジョンソン リンドン,3624,アメリカ大統領就任演説
公開:2005.12.18
更新:2005.12.21
しだひろし/PoorBook G3'99
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【公開作品】
2005年10月には、51作品のファイルが公開された。なお、作品未公開のため機能しないリンクが一部ある。
もっとも多くの作品が公開されたのは岸田国士で、22作品(新劇運動の一考察、海の誘惑、遅くはない、「文壇波動調」欄記事 02 (その二)、「文壇波動調」欄記事 03 (その三)、傍観者の言、ポオル・エルヴィユウ、幕間、或る批評、仮面座の宣言、ブルタアニュの伝説より、「文壇波動調」欄記事 04 (その四)、劇壇漫評、島国的僻見、心平かなり、用捨なき観客、或る日の動物園、「文壇波動調」欄記事 05 (その五)、「文壇波動調」欄記事 06 (その六)、戯曲二十五篇を読まされた話、芸術と金銭、『ハイカラ』といふこと、)。「岸田國士全集 20」に収録された大正末から昭和初期の随筆である。底本の分類では「随筆」となっているけれど、小説風の「海の誘惑」やフランスの昔話を収録した「ブルタアニュの伝説より」などいろいろとある。「「文壇波動調」欄記事」の「その一」は、2005年12月20日に公開予定。
次に多いのが国枝史郎で、8作品(赤格子九郎右衛門の娘、鴉片を喫む美少年、鸚鵡蔵代首伝説、郷介法師、善悪両面鼠小僧、二人町奴、岷山の隠士、村井長庵記名の傘、)公開された。代表的な長編は作業中なので、短編・中編の公開が続いている。国枝史郎は赤格子九郎右衛門という人物が気に入ったようで、娘だけでなく本人を取り扱った作品「赤格子九郎右衛門」もある。また、長編にも顔を出している(どの長編かは読んでみてのお楽しみ)。
大衆小説の代表作、林不忘「丹下左膳」も公開された。青空文庫では、「丹下左膳」を乾雲坤竜の巻、こけ猿の巻、日光の巻の三部に分けて登録している。「こけ猿の巻」は、2006年1月8日公開予定である。
妖しい味わいの作品としては、夢野久作が2作品(眼を開く、骸骨の黒穂)、浜尾四郎が1作品(殺人鬼)公開された。怪談のような話という意味では岡本綺堂「停車場の少女(新字新仮名)」もここに紹介するべきかもしれない。「停車場の少女」は、新字旧仮名ファイルがすでに公開されている。今回は別底本による新字新仮名ファイルの公開である。
「旧聞日本橋」が青空文庫で公開されている長谷川時雨のもう一つの著名な書籍「美人伝」から、「マダム貞奴」が登録されている。川上音二郎とともにアメリカに渡ったり、パリの博覧会に出たり、といった本当に波瀾万丈な生涯の一端が描かれている。
他には夏目漱石が3作品(子規の画、僕の昔、西洋にはない)、森鴎外が翻訳を含めて2作品(冬の王、渋江抽斎)、北村透谷が2作品(厭世詩家と女性、処女の純潔を論ず)、竹久夢二が3作品(先生の顔、都の眼、コドモのスケッチ帖 動物園にて)、寺田寅彦が2作品(昭和二年の二科会と美術院、人の言葉――自分の言葉)、島崎藤村が1作品(山陰土産)、林芙美子が1作品(濡れた葦)、牧野信一が1作品(鬼涙村)、公開されている。
最後になりましたが、入力してくださった方々、校正してくださった方々に感謝いたします。また、みなさんのお気に入りを、コメント欄で紹介してもらえると、うれしいです。
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]]>【公開作品】
2005年11月には、53作品のファイルが公開された。
もっとも多くの作品が公開されたのは岸田国士で、19作品(俳優の素質、俳優養成と人材発見、端役、稽古雑感、兵営と文学、求貸家、せりふ、最もよく系統づけられた戯曲叢書、練習曲、新劇界の分野、新劇協会の更生について、新劇自活の道、新劇運動の二つの道、新劇協会公演に先だつて、新劇の危機、新国劇の「屋上庭園」を観て、大正風俗考、「ゼンマイの戯れ」に就て、「ゼンマイの戯れ」に就いて)。「岸田國士全集 20」に収録された大正末から昭和初期の随筆である。私のお気に入りは「端役」。
北村透谷は、8作品(各人心宮内の秘宮、客居偶録、鬼心非鬼心 (実聞)、秋窓雑記、主のつとめ、心機妙変を論ず、他界に対する観念、三日幻境)公開された。バラエティに富んだ作品群である。これで北村透谷は32作品が公開されたことになる(一覧はこちら)。
泉鏡花は、新字新仮名/旧字旧仮名の重複を含むが、6作品公開された(旅僧、雪の翼、雪霊記事(旧字旧仮名)、雪霊記事(新字新仮名)、雪霊続記(旧字旧仮名)、雪霊続記(新字新仮名))。旧字旧仮名の「鏡花全集」底本のファイルが4つある。総ルビなのでxhtmlファイルがすごいことになっているが、Azurなどの縦書きブラウザで総ルビの鏡花を味わってほしい。「雪霊記事」「雪霊続記」は新字新仮名と旧字旧仮名の二つのファイルが公開されている。出来れば読み比べてみてほしい。
変ったところでは、「鏡花全集」の付録冊子から、水上滝太郎「覚書」、宮崎湖処子「泉鏡花作『外科室』」が公開されている。「泉鏡花作『外科室』」は新人作家としての泉鏡花への批評であり、「覚書」は鏡花への追悼文である。宮崎湖処子「泉鏡花作『外科室』」は、種々の傍点を駆使したテキストなので、出来ればAzurなどの傍点の違いを表示出来るブラウザで読んでほしい。
島田清次郎は今回の公開作品が初登録である(「若芽」)。悲劇の作家、島田清次郎についてはリンク先などを参照。他にも大作が未着手である。公開作品に刺戟されて、入力してくれる人が現れることを望む。
推理小説として、エドガー・アラン・ポー(佐々木直次郎訳)が2作品(メールストロムの旋渦、ウィリアム・ウィルスン)、甲賀三郎が4作品(青服の男、蜘蛛、琥珀のパイプ、黄鳥の嘆き)、公開されている。ポーは、ゴシックノベルという方が正しいかもしれない。
他には、森鴎外が5作品(普請中、文づかい、なかじきり、空車、雁)、太宰治が3作品(佳日、I can speak、灯籠)、菊池寛が1作品(島原心中)、三遊亭円朝が1作品(松と藤芸妓の替紋)、鈴木三重吉が1作品(千鳥)、公開されている。円朝の語り口は、やはりさっぱりとしていてよい。
来月の公開予定には、初登録の仁科芳雄の名前がある。他にもダンテ「神曲」などの大作もあるようだ。5000作品も近いので、今年の締めくくりの青空文庫を楽しみして、この記事を終わることにする。
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]]>きのうあたりから書店に並んでいる『インターネット図書館 青空文庫』の見本ができたのは今月7日のことでした。夕方ならばまちがいなく届いていると言われ、神保町にある出版元のはる書房に見本を見にでかけました。この目で完成した本を見たいという思いは同じなのか、関係者が勢揃いしました。編集統括の宮川典子さん(前列左)が用意してくださったスパークリングワインで乾杯! そして記念撮影をパチリ。
]]> 佐久間さん(後列右)は営業担当です。この日すでに大手書店から注文がはいっていました。青いカバーをとると表紙は純白。編著者野口英司さん(後列中央)のこだわりの色です。富田倫生さん(後列左)が右手に持っているいやに目立っている本は『日本の論点2005』です。著作権について富田さんが書いているこの本も同じ日に届いたとのこと。あわせて読むとおもしろいと思います。
週末は本屋さんに行って、ぜひとも実物を見てください。
]]>青空文庫の本ができました。
http://www.harushobo.jp/2005_11_01.html
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来週の中頃には書店に並ぶんじゃないかと思います。
これで、著作権の保護期間70年延長について、少しは話題になってくれればと願ってます。
***
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藤原秀衡。後白河法皇。北条時頼。楠木正成。山本勘助。上杉謙信。伊達輝宗。真田幸村。服部半蔵。雑賀孫市。徳川家康。おもいつくままにあげてみたのだが、これら人物・武将に共通するのは“修験くささ”だ。修験は、頻繁に時の政治権力に接近しているように見えてしかたがない。ときに武将であったり、ときに朝廷であったり。
修験にかぎらず、仏教はしばしば政治権力と同衾してきた。利用したり利用されたり、利用されたあげく捨てられたり、逃れようともがいたり。古今の歴史の中で宗教者・科学者・医学者が政治権力と接触した例はそれこそいくらでもある。ここではマンガ『蒼天航路』をテキストに曹操と華佗を見てみる。
話は変わるが、最澄は空海に密教経典の貸し出しを依頼する。それに快くこたえていた空海だが、『理趣釈経』という書の貸与を望まれたときに、それをこばんだ。空海の言い分は、書いてあるものを読んで理解しただけでは、その教えの本随を理解したことにはならない。体得するためにはわれのもとに来て、直接学びを請うように、というものであった。
曹操と華佗。最澄と空海。このふたつのエピソード、ここでは事実との真偽はさほど問題ではない。現代科学や現代医学、それから現代社会のかかえこんでいる問題の核心が、すでにここに
修験道もまた、重要な秘伝秘術は口伝であったという。ほかの宗派にくらべると、文献として記録するという慣習が少ない。まったく記録がないわけではないし、石碑や絵札などのかたちで残っているものもあるにはある。しかし、もっぱらが
口伝では、途中で変容したり抜け落ちたり解釈が変わったりしてしまい、本来の形が伝承できないのではないか、というふうに通常考えられる。ただし修験ではどうやらそうは考えないらしい。時代が変わり、ひとが変わりゆくのだから、それにしたがって奥義もまたうつろい変わってこそ当然ではないか。そう肯定的にとらえるらしい。うつろい変化してゆくことにこそ、奥義の奥義たるゆえんがあると。
なんだか、修験道について記述しているつもりが、憲法論議とシンクロしてしまった気がする。改憲論者の言い分に酷似しているような気がする。つまるところ、改憲論者は大ボラ吹きの山伏修験者という結論か。ひとまず、そういうオチということにしておきたい。
なお、毒物の出てくる古典にグリム兄弟の「白雪姫」、シェークスピアの「ロミオとジュリエット」などがある。また、子殺し・親殺しは、異人殺しとともに民俗学のあつかうテーマのひとつであり、うぶめ・姥捨て・家父長制・徒弟制といった社会システムへ言及を展開する可能性を持っている。毒物を子どもに飲ませた例としては伊達政宗の母・義姫がある。子に殺される例として斎藤道三、親を追放する例として武田信玄がある。手元にある「訂正古訓古事記」で、毒という文字を検索してみたのだが、該当文字は皆無。
(※追記:この原稿すべて感情的すぎ。もっとちがう構成があったはず)
◇参考
蒼天考:蒼天航路考察サイト
http://www.h2.dion.ne.jp/~soutenko/top.html
『蒼天航路』王欣太・李学仁,講談社
『空海の風景』司馬遼太郎,中央公論社
2005.11.10
しだひろし/PoorBook G3'99
転載・引用・リンクは自由です。
杉 享二。勝塾の塾長をつとめたというから、与之助と同年代だろうか。出身地などくわしいことはまだ調べてませんが、娘・里子が鶴岡の小説家・高山樗牛の妻となる。
婚姻関係でいえば、榎本武揚の妻・たつは幕府奥医師・林洞海の娘であり、林洞海は松本良順・林 薫・佐藤泰然らとつながる。彼らは庄内遊佐升川出身・天保義民とよばれた佐藤
高木三郎。旧姓、黒田友敬。江戸出身の庄内藩士。天保十二年生まれ。与之助とは二十才ちがう。こちらは庄内藩世子忠恕の相手役をつとめているエリート。安政六年、藩命を受けて勝の軍艦繰練所に入る。異色なのは戊辰戦争の前年、慶応三年四月にアメリカへ留学。明治五年二月に米国在留弁務使館書記。サンフランシスコ副領事、ニューヨーク領事となる。どうやら維新の戦火にまきこまれなかったらしい。長くアメリカに駐留して対米折衝につとめている。使節団が出かけるさいの現地手配役といったところか。十三年に官を辞したあとは生糸の輸出業をはじめている。享年六十九。
ここでフルベッキについて。Verbeck, Guido Herman Fridolin。1830年生まれ。オランダ、ユトレヒト出身。アメリカのオランダ改革派協会から宣教師として派遣。安政六年(1859)来日。長崎や佐賀で布教のかたわら英語教師をつとめる。専門は工学。フルベッキから教えをうけた者は多い。伊藤博文(長州)・大久保利通(薩摩)・大隈重信(長崎)・副島種臣(佐賀)。明治31年東京にて没する。
本間郡兵衛。おそらく山形でも知る人は少ない。号を
赤沢
会津藩のように老若男女が死闘し、なおかつ斗南へ強制移住させられたことにくらべると結果的にではあっても、庄内藩はめぐまれている。しかしその影に、おもてにされずに暗に葬られた者たちが累々といることに気づかされる。当地出身者ばかりでない。庄内藩あずかりだった新徴組浪士たちは、最後まで庄内藩士らと行動をともにして官軍にあらがったにもかかわらず、無惨な結末に終わっている者たちが少なくない。調べれば調べるほどそういう人物たちが現れてくるのだ。
『奥羽越列藩同盟 東日本政府樹立の夢』(中公新書,1995)のあとがきを星亮一は「日本の戦後処理のまずさは第二次世界大戦でも指摘されているが、戊辰戦争でもまったく同じで、賊軍の名で奥羽越を一方的に片付け、日本の近代史にとって、戊辰戦争とは一体なんだったのかを十分に討議・検証することなく、歴史の闇に葬ってしまった。これは日本人の恥ずべき歴史感覚である」と強い口調でしめくくっている。賊軍の名で奥羽越を一方的に片付けているのは、勝者の側ばかりではない。敗戦した側もまた、じぶんたちの過去を葬り去ろうとしている。戊辰で流れた血。沖縄・広島・長崎で流れた血。安保闘争・学生紛争で流れた血。現在国内外で流れている血。まぎれもないリフレイン。
陸奥宗光。土佐出身で龍馬の弟格 紀州藩出身で海援隊所属。あらためていうまでもありませんが、聡明で弁舌に優れのちに外務大臣をつとめることになります。明治十一年西南戦争のくわだてが未然に発覚してとらえられ山形の監獄へ投ぜられる。遠方流罪のようなものだろうか。十二年十一月に仙台の監獄へ移動するまでのあいだ、山形旅篭町旅館亭主・後藤又兵衛が衣食等身辺の差し入れや家族との連絡などの世話をつとめている。宗光は獄中でベンサム『プリンシプルス・オフ・モラル・エンド・レジストレーション』の翻訳などを手がける。十五年十二月、特赦放免され出獄。
関口
益満休之助。西郷吉之助の腹心。江戸市内撹乱の中心人物ともいう。薩摩藩邸焼き討ちのとき逃げ遅れて逮捕される。勝海舟の家に居候。山岡鉄太郎が駿府駆けをしたとき官軍の中を突破する案内をした。(追記:関口隆吉と益満休之助は操練所に所属したわけでなく、海舟と関連あるということでとりあげました。タイトルが「幕府軍艦操練所」だったので、ちょっと誤解をまねきかねない列挙だったか)
ざっと、このようなぐあいです。なお海舟は、酒田の本間家に言及したことがあるらしい。積善の家に余慶ありを旨とし、百姓一揆はなかったとされる本間家を、勝は、すぐれた家訓・家憲を持つゆえといってほめたという。
『竜馬がゆく』のなかで司馬さんはたびたび清河八郎を登場させています。ただし、佐藤与之助については書いていなかったはずです。本間郡兵衛についてもおそらく書いていない。ざっと見たところ『街道をゆく』の横浜・神戸編にも見あたりませんでした。清河は1830年生まれだから与之助・郡兵衛の十才ほど年下になります。何かつながりがあってもふしぎではない。そう思っていたら案の定、八郎の日記『西遊草』に佐藤与之助の出てくるところを見つけました。みじかく「旧知の与之助あてに江戸で手紙を出した」とある。詳細はわかりません。が、面識と交流のあった可能性があります。
与之助や郡兵衛の視点で庄内藩や維新のことを再点検したいのですが、出羽三山の明治維新を最優先にしたいものですから、その作業はすぐにはできそうもありません。ふれることはできますが、深く記述できそうにありません。佐藤賢一さん、もしくはほかのかたが掘り起こしてくださることを期待したいと思います。
なお、清河八郎『西遊草』は、当時の庶民の記録としてたいへん参考になります。今の感覚だからでしょうか。母親との全国道中記というのもめずらしい。行く先々で話のネタを仕入れてはこまめに書きとめている。酒造屋のせがれなので芭蕉のようなジリ貧の行脚とも異なります。山形の侠客の親分の名前なども書き記してくれている。当時、山形に狼がいたのか疑問に思っていたのですが、それについても書いてあります。天童から東根へいく途中、このあたりは狼が多いから気をつけるようにと注意をうけている。
「清河八郎と陽明学」の回で、八郎の羽織の紋について「
◇参考資料
『新編 庄内人名辞典』1986.11.
『山形県の歴史散歩』1993.2.
『ものがたり庄内と人物』大泉散士1988.3.
『山形市史』
『西遊草』清河八郎
2005.11.2
しだひろし/PoorBook G3'99
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民衆に訴える
フランツ・ペーター・シューベルト(作曲・訳詞:高橋悠治)
時代の青春は終わった
民衆の力も
流れ行く群衆のなかに埋もれて
使いはたされた
苦しみにさいなまれ
あの力の名残りさえ
時代にさまたげられて
実りなく消える
民衆は歌を忘れて
病んだ時代をさまよう
あの日の夢を捨てて
顧みることもなく
ただ歌だけが運命に
立ち向かう力をくれる
かがやく思い出をえがき
苦しみを和らげて
「水牛のように」を2005年11月号に更新しました。
雑誌の目次のように、原稿の順番をきめるのは更新のための最後の楽しみです。今月はタイからはじまってインドネシア、イラク、イタリア、ドイツとめぐり、どこともわからないふしぎの国に足をふみいれ、日本へというふうにしてみました。テーマをもうけることはしないので、「水牛のように」は目的のない旅のようなものです。
新しく出た藤本和子さんの翻訳を2冊。
『不運な女』は1982年にピストル自殺をしたリチャード・ブローティガンの遺品の中からひとり娘が発見した最後の小説です。藤本さんが書いた『リチャード・ブローティガン』をあわせて読むとよりおもしろいと思います。
『闇の夜に』はブルーノ・ムナーリの絵本。イタリア語版とおなじくイタリアで印刷されています。黒や半透明の紙が効果的に使われていて、ページをめくるのが楽しい。簡素な日本語にもつい見入ってしまいます。
11月30日には金沢で「冬の旅」の公演があります。翌日12月1日に帰ってから作業をしますから、更新はいつもよりおそく、1日夜になると思います。そして3日からは北海道ツアーです。どこでもおいしいものが待っていてくれそう。暗い冬の北に旅する者の特権です。
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波乗りをしていて、しだいに霧におおわれたことが何度かあります。まず、水平線が不明瞭になります。近づいてくる波も見えにくくなる。それから周囲が見えなくなる。沖のほうだけでなく、ふりかえっても浜がかすむ。たいていこういう天候のばあい、さほど波質はわるくありません。とりたてて良質の大きな波というわけではないけれど、無風なので海面がさざなみ立っていない。視界がうばわれると、聴覚や触覚がはたらきます。静寂。心ぼそくなるくらい。うしろのほうで波がブレイクする音だけが聞こえる。それから、体がゆっくりと上下にもちあげられたりすうっと落とされる。海水が、なんだか水という気がしなくなる。小高い山のような物体。それが霧のなかを近づいては足の下を通りすぎていく。
宮崎さんの作品には雲につっこむ場面がくりかえし登場します。『もののけ姫』でも山霧につつまれるシーンがある。霧雨。雲影。それが風にのって下手へ流れすぎると、一転して陽差しがもどってくる。映像クリエーターとしては描きたくなるのがよくわかる。ただし、その挑戦は気をつけないと製作側の自己満におちいる。リアルにナチュラルを求めるのであれば、実写を撮影して合成してしまえばいい。どちらかといえばラピュタやトトロや魔女宅のデフォルメした自然描写のほうが成功していた。成功していたイコール、個人的に好きだった。描きこまないリアリズム。
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